福島県、磐梯山のすぐ近くにある諸橋近代美術館。特色はなんといってもサルバドール・ダリの作品を大量に所蔵し、展示していること。公式サイトのURLからして「dali.jp」ってんだから気合が入っている。
「ダリって誰?」って人はいないと思うので……いや、いるかもしれないので一応。シュールレアリズム、一言でいうと、夢の中みたいに、脈絡のないモチーフが意味があるんだかないんだかわからない具合に次から次へと現れては消えるような世界を、絵画とか彫刻とかで具現化するという芸術ジャンルがあるけれど、その世界での第一人者っぽい人だ。抽象絵画というと誰でも知ってるのがピカソだけれど、ダリの作品はピカソよりもずっと肉々しいというか生々しいというか、個人的にはより「夢の中っぽい」感じがするんで好きだ。
樹の枝に引っかかってドロリと溶けかかった時計とか、人間の肉体なのか樹木なのか判別が付かない物体が見渡すかぎりの荒野にただ立ってる絵だとか、そんなのが「ダリの作品」として良く思い浮かべられるものなんじゃないだろうか。
「溶けかかった時計」は、「記憶の固執」って絵に初登場したモチーフだけれど、ダリ本人からしてたいそうこのモチーフが気に入ったらしく、他の絵や彫刻として何度も作品化している。ここにも溶けかけた時計のブロンズ像が2つばかり展示されている。これは入ってすぐのところにあるもの。
諸橋近代美術館の館内は、ブロンズ像などが展示されているメインホールみたいな場所と、絵画や彫刻などが展示されているいくつかの展示室に分かれている。普通は美術館内っつったら撮影厳禁ってのがお約束なのだけれど、ここはメインホールにある彫刻は撮影が自由だ。
やたらと足が長い象。これもダリの絵画作品の中にはけっこう頻繁に登場するモチーフ。溶けかかった時計にしろこの足の長い象にしろ、専門家さん達によればいろいろと暗喩だとか意味だとかが込められてるってことにされてるわけだけれど、まあ一般人である我々にとってはそういうのはそれほど関係ない。見た感じのイメージとか雰囲気だけ、その場で感じ取れれば十分だと思う。
実際、ダリの作品ってのはそういう「意味とかそういうのはあんまり関係なく、ただ思いつきやイメージで組み合わせてみました」的なものが多いんで、考えるだけ無駄というか考えたら負けというか、そういうところが多分にある。
カタツムリの上に天使が乗ってて、殻には羽が生えてて、水しぶきを上げて水上を疾走している。これも、意味をアレコレ付け加えようとするなら付け加えられるんだろうけれど、実際のところは「カタツムリを疾走させたら面白いんじゃね?」的な発想が発端になってるんじゃなかろうか。
関係ないけど、この「カタツムリに天使みたいな丸っこい羽」って組み合わせ、CLAMP作品あたりに出てきてそうな気がする……。
こちらは撮影禁止エリアにあったもので、「回顧的女性胸像」って名前が付けられてる。おさげがトウモロコシになった女性の額にアリがたかっていて、その頭の上にはフランスパンが乗ってて、さらにその上は小さな銅像が2つとインク壺がある。これもまあ、理屈付けすれば理屈が付くんだろうけれど……。
音声ガイドが無料貸し出しされていたのでそれを聞きながら見て回っていたのだけれど、この作品の解説はちょっと驚かされた。「頭の上に載っているのは、ミレーの晩鐘です。これは抑圧された性欲の象徴であり……」
「ええっ?」と、イヤホン付けてるのを忘れて思わず声を上げてしまった。ミレーの晩鐘が抑圧された性欲の象徴って、なにそれ?
ミレーの晩鐘ってのは、この絵のこと。抽象絵画とは全然関係ない。ミレーってのは、古典絵画でイエス・キリストとか天使とかを荘厳な雰囲気で描くのと同じやり方で、貧しい農民のリアルな生活風景を描いた画家だ。「晩鐘」はその代表的な作品の一つで、農作業を終えた夫婦が教会の鐘の音を聞きながら祈りを捧げてるという図。なんというか、いわゆる「教育的によろしい絵」の代表格だ。
我が父母は、そこそこ「敬虔なクリスチャン」だったので、自宅の食事をする部屋の壁には、もちろんレプリカではあるけれどこの絵が飾ってあった。子供のころから食事をするたびに見ていたこの絵が、「抑圧された性欲の象徴」って、いったいどういうことなんだ……?
さすがに気になってしょうがないんで、午後から行われるギャラリートークに参加してみた。学芸員のお嬢さん、いやそんな呼び方はいくらなんでも失礼か、お姉さんが館内の作品をわかりやすく解説してくれるというもの。参加は無料。ただ、その解説はちょっと「わかりやすい」が過剰気味で物足りないものではあった。前述の「回顧的女性胸像」についても、いちおうけっこう時間をかけて解説はされたのだけれど、「抑圧された性欲の象徴」なんてカケラも出てこなかったし。突っ込んだコアな話が聞きたければ、時々行われる有料のトークショーとかに参加するべきなのかもしれない。
まあ、それはそれとしてギャラリートーク終了後、お嬢さん、もとい、お姉さんに気になっていたことを質問してみると……。
「ミレーの晩鐘」は、ダリが子供の頃に通っていた学校で教室に飾られていたものだったそうだ。まあ、自分が子供の頃の学校の授業ってものを思い返してみれば誰でも分かると思うけれど、基本的に退屈で退屈でしょうがない。その退屈な中、見るものといったらこの絵しかない。毎日毎日、何時間も何時間も、ずーーーっとこの絵ばかりを延々と見ているうちに、いろいろな妄想が沸き起こってきたそうだ。
足元においてある籠は、この夫婦の子供の遺骸が収められた棺なのではないかとか。女性が少し前かがみになっているのは、今にも男性のほうに襲いかかって捕食しようとしているのではないかとか。
後にダリは、その妄想を連作のリトグラフにして表現している。最初は普通に「ミレーの晩鐘」の模写なのだけれど、少しずつ女性の姿がおぞましげなものに変形していき男性を喰らい飲み込んでいくというものなんだとか。そういったことから、ダリの研究家の間では「ミレーの晩鐘」がダリの作品内に登場した場合、それは「抑圧された性欲の象徴」として使われているものだと解釈するのが普通になっているのだとか。
いや、さすがに専門で働いてるだけあって立て板に水のように解説が流れ出てきて圧倒された。やっぱすごいや専門家!お嬢さんとか言ってすいませんでした!
というわけで、「ミレーの晩鐘は抑圧された性欲の象徴」ってのは、「ダリはそう思ってたっぽい」という通説みたいなものであって、ミレーの晩鐘そのものに対しての一般的な解釈ってわけじゃないらしい。それ、言われなきゃわからないよ! すごいビックリしたよ!
この美術館、ダリだけじゃなくてセザンヌ、シャガール、ルノワール、ゴッホなんかも少しだけれど展示してある。といってもオークションなどで買い集めて少しずつ増やしているのだそうで、言っちゃなんだけれどダリのそれに比べると、あまり「たいしたもの」は置いてない。
セザンヌとか、解説文見て始めて「え? これセザンヌ? なんか華々しさというか艶やかさが足りなくない?」とか、失礼にもほどがあるけれど思ってしまった。……案の定というか、ギャラリートークでは「セザンヌがまだ売れない画家だったころ、いろいろ試行錯誤していた頃の作品で、あまりセザンヌらしさは見えないかもしれませんが……」とか言われてた。
とはいえ、シャガールなんか誰が見てもシャガールの絵にしか見えないし、ルノワールはいかにもルノワールっぽい、でぷっとした女性のぽよっとした感じが出てる絵だったし、入館料分のお得感は十分にある。特にシャガールの絵の青と赤は、印刷だと上手く出ないのか、実際に見るのと画集で見るのとだと迫力というか「真に迫る感」が段違いだし。
この諸橋近代美術館、今は冬期休業中で、次にオープンするのは来年の4月になる。訪れた日は抜けるような青空が広がる快晴だったのだけれど、美術館ブログによると次の日から雪が降り出し今はすっかり真っ白な雪景色になってしまっているとか。4月になったらまた新しい企画展が始まるというし、また行ってみるつもりだ。