実銃射撃

「無課金おじさん」じゃない方、金メダルの人について

投稿日:2024年8月6日 更新日:

右が、突如として世界的有名人となったユスフ・ディケチ(トルコ)。しかしこの記事においてメインで取り上げるのは、左のダミル・ミケッツ(セルビア)です。※NHK見逃し配信よりキャプチャ

突如として湧き上がったエアピストルの大ブーム。パリ五輪の10mピストル男女混合、ゴールドメダルマッチに出場したユスフ・ディケチ(トルコ)が格好いい!というのがきっかけとなりました。話題となったのはそのスタイルです。もともとピストル撃ちが、大仰な射撃ジャケットを着込んでいるライフル射手に比べて軽装に見えるのは当然としても、他のピストル撃ちと比べても「ごく普通の、そこらへんにいそうな格好」で、しかも年齢が51歳、ロマンスグレーの渋い風貌! 他のほとんどの競技で出てくるのは、当然ですけれどいかにもアスリートっぽい若者ばかりです。そんな中にあんな渋いおじさんが出てきてしかもメダリストにまでなったんですから、とにかく新鮮に見えたのでしょう。一気に世界中で人気となり、お金をかけた装備をしていない(っぽく見える)ところから「無課金おじさん」なんて愛称まで生まれました。

ゴールドメダルマッチはセルビアvsトルコの対決となり、14vs14の「次に勝ったほうが勝ち」という状況にまでもつれ込む大接戦の結果、セルビアが勝利して金メダルを獲得しました。「無課金おじさん」のトルコの方は銀メダルとなったわけですが、上記の経緯からネットで話題になるのはトルコのほうだけ。セルビアの選手はほとんど話題にならないばかりか、セルビア選手が身につけていたのがエアピストル競技に使うにはちょっと大げさ過ぎるようにも見える大きなイヤマフだったりしたことから、「無課金」と対比させて「廃課金(重課金)おじさん」よばわりまでされてしまっています。不憫すぎる。

「廃課金装備」の象徴的扱いされてる大きなイヤマフですが、クローズアップされたところをよく見るとTOKYO2020のシールが貼られてるのが見えます。銀メダルを獲得した大会で着用していた装備をそのまま身につけている――もしかしてゲン担ぎだったりするのでは? ※NHK見逃し配信よりキャプチャ

その廃課金おじさんことセルビアのダミル・ミケッツ。当ブログでは、実は以前から何度も名前が出てきている選手です。おそらくですが、私は日本で一番ダミル・ミケッツについてネットにたくさん書いてるピストル撃ちだと思います。その縁(?)もありますので、ここでダミル・ミケッツのことをもっとみんなに知ってもらいたい、評価してもらいたいと思ってこの記事を投稿します。

ダミル・ミケッツ、北京オリンピックからロンドン、リオ、東京、パリと、今回で5回連続での五輪出場になります。実は無課金おじさんことユスフ・ディケチも同じく5回連続の5回目です。オリンピックで5回も同じ種目で顔を合わせているわけです。ついでに言えばトルコもセルビアも同じヨーロッパですから、ヨーロッパ選手権などで一緒になる機会ならもっとたくさんあるはずです。実際、試合終了後のユスフ・ディケチへのインタビューでは、金メダルを獲ったダミル・ミケッツのことを「友人」と呼び、「次のオリンピックまで金メダルを預けておく」なんて格好いいことを言ってたりもしました。

日刊スポーツ:【射撃】「無課金おじさん」がトルコに凱旋帰国 世界中で話題となり「本当にびっくりした」

ダミル・ミケッツのインスタより。すごい仲良さそう。

口さがないネット記事なんかでは、「普段着でふらっと来てメダルを獲っていったみたいで格好いい」とか書かれてたユスフ・ディケチですが、こういう経歴を見るとそういうのとはかなり違う印象を受けます。「なにがなんでもメダルを」と執念で5回もオリンピックに出場し、そしてついに念願のメダルを獲得したという、そういう場面だったわけです。

念願のメダルという点では、ダミル・ミケッツも同じです。彼は東京オリンピックで10mピストル個人で銀メダリストになっていますが、オリンピック金メダルはこれが初になります。双方とも「初の金メダル」を争ってしのぎを削っていたのです。それも最後の一発を撃つまでどちらが勝つかわからないという緊迫の展開です。「ふらっと立ち寄って撃ってる」なんてとんでもない話で、実際に映像を見ると最後の一発を撃つときの両者、銃がけっこうな勢いで震えてるのがわかります。そんな中で10.7を撃ったダミル・ミケッツ、9.1に飛ばしてしまったユスフ・ディケチ、その1発が金メダルと銀メダルを分けたわけです。

当ブログで何度もダミル・ミケッツを話題に出してきた理由、それは使っている銃が「ものすごい古い銃」だからです。ワルサーLP300XTという銃なのですが、現在のワルサーのエアピストル最新型はLP500、その一つ前がLP400、LP300はさらにその前の機種です。二世代前です。道具を使うスポーツにおいて、それも世界トップレベルの争いで「二世代前の道具」を使う人って、射撃に限らず他の分野まで話を広げたとしても見つかりますか? まず、いないと思います。「非常識」といっていいレベルです。とてもこんな場所に出てくるとは思えない古い機種を使用している選手が登場し、しかもそれでメダルをかっさらっていくんです。

※ワルサーLP300XT マニュアルの表紙

私はクルマには詳しくないんで、物凄く俗っぽい使い古された表現になりますが――「ハチロクでランエボに勝った」みたいな話です。

「WALTHER LP300 XT」で検索すると、真っ先にワルサー社によるフェイスブックへの投稿がヒットします。8年前の大会においてダミル・ミケッツがワルサーLP300XTを使って入賞したときのものです。

東京で銀メダルも取れたことだし、さすがに今回は新しい銃にしてるだろうと思ってたのですが、10mピストル個人ファイナルに出てきたときに手にしてた銃はどこからどうみてもLP300XTのまま! 驚きのあまり中継動画見ながら声上げてしまいましたね!

競技銃は軍用銃の世界みたいに「何年に開発されて、何年に採用されて」みたいな情報をまとめてるようなところがあまりないので、断片的な情報を集めての類推になりますが、だいたいの発売年は2000年ごろのようです。

最新式の競技用エアピストル――例えば、ユスフ・ディケチが使っていたステイヤーEvo10Eなどと比べたときに、この四半世紀前の古いエアピストルは、どのくらい違うのか? 新型のエアピストルに備わってる最新機能というと、発射した弾の反動を打ち消す仕組み(スタビライザーとか、アブソーバーとか呼ばれてます、名前は各社さまざまです)が入っているかどうか、グリップを3D調整(前後方向・左右方向に回転する形に微調整すること)ができるかどうか、といったものがあります。

ワルサーLP300XTには、反動軽減装置(アブソーバー)、3Dグリップ、その両方が備わっています。その点では、大昔に発売された銃としては最新型の機種と同じ機能を備えた先進的な銃だった、という言い方ができます。といってもそこは古い銃だけあって、今のものと同じ性能とはいきません。アブソーバーについては、「いちおうついてることにはなってるが、ついてないのと対してかわらない」みたいな言い方されることがあります。3Dグリップも、「いちおう調整することはできるのだけれど、いったんグリップを外して着け直すと、また最初っから調整し直しになってしまう」という、けっこうやっかいな欠点があったりします。

そしてなにより、性能とか機能の違い以上にやっかいなのが、古い機種であるがゆえの問題です。故障して修理しようとしたときに、部品が手に入らないんです。ワルサーは他メーカー(ステイヤーやファインベルクバウ、モリーニなど)と比べて、新型機種になると旧型とは全くパーツの互換性がなくなってしまうため、古い機種を新しい機種のパーツを流用して修理する、という他メーカー製品では普通のやり方が通用しません。特にエアシリンダーの付け根部分は経年劣化で破損しやすく、ワルサーLP300の弱点と言われています。

10mピストル混合・ゴールドメダルマッチの中継映像を見ますと、何度かダミル・ミケッツの使用しているワルサーLP300XTが大写しになるシーンがあります。中継映像を作ってる側も、「この選手は、およそ考えられないほどに、ものすごい古い銃を使ってる」ってことを分かっていて、そのことを視聴者にアピールしようという意図があったのかもしれません。そうではなく、一風変わった雰囲気のある銃だけに「撮れ高が稼げる」という本能的なカンが働いてカメラをそちらに向けてズームアップしたのかもしれません。ここは想像になりますが……。

これ以上ないほど大きくクローズアップされたシーン。グリップ側面にはTOKYO2020の銃検シールが、見るからに「一番いい場所」に貼られているのがわかります。さらに銃を置いてる台の上に敷いてるタオルはTOKYO2020の公式グッズだったりします。どこまで東京オリンピックに思い入れ持ってくれているんでしょうこの人! ※NHK見逃し配信よりキャプチャ

特にシリンダー付け根が劣化しているような雰囲気はなく、機関部を含めてほぼ新品同様なくらいにキレイに見えます。グリップには暦年の参加大会の銃検シールがほぼ隙間なくビッシリと貼られており、長い間使い続けられている年季の入ったグリップだということがわかります。

とっくの昔にメーカーから修理用のパーツを購入することはできなくなっているはずです。ではこのLP300XTは、どうやって修理しているのか? パーツを一から全部、削り出しとかで作ってる? 部品供給用に予備のLP300XTを大量に確保している? いずれにせよ、そんな苦労するくらいならフツーに最新機種使ったほうがずっと楽なんじゃないかと思います。というか確実にそうでしょう。ワルサーLP300XTは、あえて苦労をしてまで使い続ける価値がある、少なくともダミル・ミケッツにとってはそういう銃であるってことなんだと思います。

「維持することすら苦労の多い時代遅れの古い道具で、最新機種を使うライバルに勝つ」というのは、いかにも日本人好みというか、マンガのネタになりそうというか――話題になるネタとしてはこれ以上ないってほどに良ネタじゃないですか! なんで話題にならんのですか!

みんな銃のメーカーや機種名のことなんか気にしてないからですね……。

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