3月10日~11日にかけて、石巻にある宮城ライフル射撃場にて開催された全日本選手権に参加してきた。「全日本」なんて名前が付いてるとおり文字通りの国内トップレベルの試合だ。
普通のスポーツだったらそんな試合にペーペーの一般人が参加するなんてとんでもないことだろうけれど、射撃の場合はそれほど特別な参加資格があるわけでもないので誰でも申し込みさえすれば参加できる。必要なのは神経の太さくらいなものかも。
3月11日は、今更言うまでもないが震災があった日だ。去年も同じ日程で同じ場所で全日本選手権は開催されていた。去年の3月11日は金曜日、大会は土日にかけておこなわれる予定だったので震災当日は前日練習日。ナショナルチームメンバーを含めて多くのシューターが現地入りしていた。射撃場は海 のすぐ近くではあったが高台にあるため、幸いにもだれひとり怪我することもなく無事に帰宅できたという。上の写真は、そのことに対して、ISSF(国際射撃連合)の理事会メンバーから贈られた激励フラッグだとのことだ。「東北」がスペルミスで「Tohuko」になってたりするが、そのことが逆に体面だとか格好付けではなく本心からの応援をしたいという心が感じられるようで、心を打つ。
エアピストルの試合は、エア射場ではなくSB(スモールボア射場)にて開催されるということは事前に要項で発表されていたので知っていた。エア射場の方では人数が多いライフルの試合が開催されるからだ。SB射場ということは、この寒い季節に吹きさらしの屋外で撃つことになるのか、じゃあ防寒装備とか大量に持っていかないと寒さで死ぬな…とか思って万全の態勢を整えて前日練習に臨んだのだが、SB射場に入ってみてびっくり。
「あれ? 屋内射場じゃん…?」
射座の前方に壁を設置して標的を並べることで、屋外射場を屋内射場に作り替えてしまうことができる仕組みになっているそうだ。暖房は完璧で、普通にジャージで快適に過ごせる。防寒装備が無駄になった。いや、事前に聞いておけばいいだろそのくらいって話なんだけれど、「SB射場=屋外」ってアタマがあったんで完璧にそう思い込んでしまっていたんだ…。
大会への参加メンバーは、そりゃもうそうそうたるメンバーだ。試合風景を見ても、ほとんどの競技者が背中に「JAPAN」の文字が入ったジャージを着ているのが分かると思う。文字通り、日の丸を背負った代表選手が勢ぞろいだ。
震災からちょうど一年の日に開催される全国大会ということで、テレビの取材も入っていた。なんでも当日(3月11日)の夜中に日テレで放送されたスポーツ系の番組内で映像が使われる予定との話だったのだけれど、帰宅したのは日付が変わった後だったんで結局見ることはできなかった。まあ、使われたとしてもせいぜい10秒かそこらだったんじゃないかとは思うけれど。
とりあえず一番最初に自分自身の結果を書いておかないとならない。
調子は、まあ良かった。前日練習のときには、銃をまともに構えられなくてふらふらしてしまって、どうしたもんだろうこりゃだめだ状態だった。いままで自分がどんな風に銃を構えてトリガーを引いていたのかすらわからなくなるようなありさまだった。けれど一晩ゆっくり休んで次の日になれば調子は一変。思い通りにトリガーが引ける。最初の7発くらいは「すげーぞこのまま優勝だ」ってくらいの勢いだったくらいだ(まあ、8発目と10発目で帳尻を合わせちゃったわけだけど)。結果としては当面の課題である「93点平均」にぴったり揃う形になった。6シリーズの合計で558点、普通の試合だったらうまくすれば優勝、そうでなくてもファイナルには確実に残れるくらいの成績だ。
だが、全日本選手権はそんなに甘くない。結果は21位だった。ファイナルに残るには570点台がほぼ必須である。「93平均出したのに優勝どころか賞状すらもらえなかった。何を言ってるのか分からないと思うが…」な感じだが、まあ上のほうのメンバーを見ると、それもまた当然かなといったところ。ずらっと日の丸ジャージが並んでる状態で、しまむらのシャツとユニクロのジーンズを着てる自分みたいなのが混じってたら、そりゃ浮きまくること必至である。自分より順位が下の方にも日の丸ジャージな方はいらっしゃるわけで、今のレベルからすればよく頑張ったよ自分といったところ。
せっかくなのでそこから先は、世界トップレベルシューター達の射撃を記録に残すことに専念する。
まずは当然、ワールドカップピストル種目金メダル総ナメの松田知幸選手。2010年のISSFが選ぶシューターズ・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた、文句なしの「世界レベルでのトップ選手」である。こういう凄い選手がガチで競技を行なっているところを、ほとんどかぶりつきに近い状態で見ることができるというのも射撃の醍醐味かもしれない。
といってもさすがに前とか横から写真を撮るわけにはいかないので、斜め後ろからの撮影になる。望遠レンズっつーもんを持ってないので(このカメラは部屋の中でのブツ撮り用として買ったものなので)それほど大きくは撮れないのだが画素数だけはあるのでトリミングにて拡大。
以前は自衛隊や警察のシューターって、かなりのオープンスタンスを取ってることが多かったのだ(アトランタ、シドニー、アテネのオリンピックで10mエアピストルに出場した中重勝選手なんかが代表例)けれど、今はどちらもかなりのインラインスタンスになっている。世界の趨勢に合わせたというか、より基本に近い形になっているようだ。
こちらは動画。照準前に、銃をいちど標的の位置よりも上にふりあげてから下に下ろしながら狙う、というのは多くのシューターがやっていることだが、松田選手の場合は振り上げる幅が随分と大きい。ほとんど天井近くを狙うくらいの勢いで銃を上に上げている。それと同時に視線や首の角度も上を仰ぐような感じになり、その後に銃と一緒に下に下ろしていくような手順になっている。
周りでも撃っているのでどれが松田選手の射撃音かわかりづらいが、撃った後にけっこう長い時間フォロースルーをして、それから銃を下ろしている。これは以前(ワールドカップで金メダルを取りまくってたころ)と比べると大きな違いだ。以前はフォロースルーはあるかないかわからないくらいに短いものだった。
次は、民間人最強のAPシューターである三野卓哉選手の射撃。自衛隊員でも警察官でもないのに全日本選手権のピストル種目で3度もの優勝経験があり、アジア選手権でも個人で7位に入ったことがあるそうだ。日本ライフル射撃協会が刊行しているピストル射撃の入門書、「オリンピック・ピストル・シューティング」の著者でもある。
私がピストル射撃について言ったり書いたりしてることの大部分は、「オリンピック・ピストル・シューティング」や、三野さんが講師をしている日ラのピストル指導者講習会で聞いた内容の受け売りだ。当然、射撃フォームとか理論とかについても多大な影響を受けている。撃つ前に、まず的の方ではなく正面に首を向けて身体の力を抜き、ヘンなところに力が入っていないか、身体のバランスが片方に寄っていたりしないかをチェックしてから、あらためて顔を標的の方に向けて角度や位置を確かめ、そこからようやく照準を始めるという手順なんか、三野さんに聞いて真似して初めたところ大きな効果があったんで、そのままずっと続けてるやりかただったりする。
今回、三野さんは本戦で568を撃ちファイナルへ進出。といっても三野さん以外は全員570点台で、トップの松田選手とは10点もの差がある状態。というか今回の本戦成績は、1位~4位までが2点差にひしめく大接戦になっていて、ファイナルは1発撃つごとに順位がガラリと入れ替わるエキサイティングなものになった。
ファイナルに先立って準備を行う。ボランティアで大会運営を手伝ってくれている地元の高校生の皆さんが、人海戦術で射座番号の貼替えや机の設置をしてくれている。
まずはサイティングショット(試射)が行われる。並び順は、観客席から見て一番左が本戦1位、その右が2位といった具合に8位までが並ぶ。上の動画はその1位~3位。一番左が1位の松田知幸選手(神奈川県警)、その右が2位の中重勝選手(広島県警)、一番左が3位の堀水宏次郎選手(香川県警)。関係ないが、1970年代生まれ、60年代生まれ、80年代生まれといった並びである。本戦点数は順番に578、577、577。3人の差はたったの1点。これだけの僅差なら、ファイナル次第でどうとでも結果が変わる。
予想通り、ファイナルは白熱。最初は松田選手が突き放しにかかるかと思いきや、3発目でいきなり8.5点を撃ち3位の堀水選手に逆転される。それにプレッシャーを受けたのか、10点台を連発していた中重選手が6発目でまさかの7.9を撃って大きく後退してしまう。「7点」というのはこのレベルの選手はまず撃つはずのない点だ。単純に577点というが、600点満点なのだからミスしたのは全部で23点。60発を撃って、半分は10点を撃ち、10点を撃てなかったものも全部9点に入れたとしても570点。「10点のほうがそれ以外よりも多い」という状態で、8点とか、ましてや7点なんて、1発でも撃ったら心が折れるレベルのミスショットだ。
8発目で、松田選手は再び8点台を撃ってしまう。あきらかなミスショットである。残りの弾数からして逆転の可能性は限りなくゼロに近づいた状態で、それでもなお松田選手は、「あきらめたらそこで試合終了だよ」という言葉を支えにしていたかどうかはあずかり知らぬところではあるが、10点台を撃ちつづける。しかし堀水選手はミスショットすることなくファイナルを終え、優勝を決めた。
(※ファイナルの展開でずいぶん記憶違いがあったので訂正 3/13)
雲の上みたいなところで勝ち負けしてる人たちと一緒に試合する形になって、得るところはあったのかどうか? 体調も用具も万全の態勢を整えて臨み、かなりの好調で自分なりには納得した点数を撃てたのに、それでも箸にも棒にも掛からないような順位でしかなかったわけで、「だめじゃん」って言われても仕方がない結果ではある。
けれど、競技終了後に三野さんがこんなことをおっしゃっていた。「年に一回くらいはこういう大会に出ないと、下手になる一方ですよ」。当然のように的の真ん中を撃ち続け、それでもなおより真ん中に近づけるように、どんな状況・精神状態でもそれを確実に続けられるように、自分の技術や精神を高めようとたゆまぬ努力を続けている人たちを目の当たりにすることは、絶対に自分にとってもプラスになったと思う。
最後に一つ。栃木から参加されている民間人シューターの方(このブログもご覧になっていただけてるそうです)が、競技終了して銃を片付ける前に、机の上に置いた銃と用具に向かって両手を合わせてお辞儀をしている様子を目にする機会があった。後でお話を伺ったところ、「道具に対する感謝の心を忘れないように、試合の前と後は必ずやってるんです」とのこと。開始時間ギリギリに駆け込むようにして射座に入って放り出すみたいにして準備をして、終わった後はカバンに放り込むみたいにして片付けをしている自分の態度を思い出し、恥じ入るばかりだった。射撃は、心なんだなあ。