実銃射撃

「無課金おじさん」に幻想を持ちすぎないで

投稿日:2024年8月8日 更新日:


断片的な情報から、その背後にある色々なストーリーを思い浮かべるというのは楽しいものですが、あくまでそれは「勝手にこっちが想像したストーリー」でしかなく、実際のところどうなのかということとは基本的には無関係です。「こうあって欲しい」というストーリーを思い浮かべ、想像を膨らませていたところ、現実はそれとは違うということを後から知ったとき、どういう態度を取るか? まともな人なら、自分勝手に想像してたストーリーなんかより現実のほうが正しいということを普通に受け入れることができると思います。

けれど、世の中にはそれができない人が時々いるみたいです。

こうであってくれたほうが「美しい」のだから、現実もそうであるべきであり、否定することは許されない――みたいな、ちょっとそれはどうかと思うような考え方に至ってしまう、言ってしまえば「困った人」が時々出てきます。

射撃と少し話題が離れますが、歴史を題材としたPCゲームでちょっとした騒ぎがありました。日本を舞台にした新作における主人公が「弥助」、信長に仕えていたという黒人侍という設定だったのです。


そういう人物がいたということは信頼できる資料が複数残っており確実ではあるものの、「侍」としていくさ場で活躍したというような記録はありません。その点、ほぼ完全なフィクションなわけです。

もちろん、断片的な史実をつなぎ合わせていろいろと想像を含ませてフィクション作品を作り上げること自体には全く問題はありません。例えば同じ戦国時代を舞台としたお話でも、忍術を駆使して神出鬼没の活躍をしたニンジャ服部半蔵とか、戦国のボンバーマンこと松永久秀とか、およそ史実とはかけ離れた「ストーリー」を付け足されて人気になってる人物はいっぱいいます。

戦国時代の日本で活躍した黒人サムライというのも、それと同じようにフィクションであることを前提とした上での人気キャラクターとして認識されてるのならいいのですが――。その「自分勝手に思い描いて作り出したストーリー」を史実であるかのように扱い、さらにはそれを否定する人を悪しざまに罵るようなことを始めるとなると話は別です。

「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行」は定説になりつつある…トンデモ説が欧米で"史実"扱いされる恐ろしい理由 「アサクリ問題」には歪んだ認知構造がある #プレジデントオンライン

「当時の日本では黒人を奴隷とすることが流行しており、しかしその中から類まれなる能力を見出されてサムライとして活躍した人物がいた」という「ストーリー」は、欧米人からすると「気持ちのよいストーリー」です。フィクションであるということがどっかに置き去られ、「政治的に正しい話」という扱いになってしまうに至り、話はとんでもなくややこしいことになってしまいました。そのストーリーを否定することは「政治的な正しさを否定する」こととイコールになり、すなわちレイシストであるというレッテル貼りに繋げられてしまうのです。そこには「史実はどうだったか、根拠となる信頼できる史料はあるのか」という本来ならば歴史を見るときに最重要視しなければならない態度は存在しません。

「美しいストーリーを思い描く」というものは、それ自体は楽しいものですし、フィクションであるということをちゃんと忘れないでいるのならば、問題視されるようなものではありません。むしろ、大いに歓迎すべきものとすら言えるでしょう。しかし、その「美しさ」ゆえに、その想像のほうが「正しいとされるべきもの」というような扱いをされてしまい、実際はどうだったのかということより優先されるようになってしまう、なんてのは間違いなく問題があります。とんでもない話です。

「無課金おじさん」についても、同じことは言えます。

オリンピックという世界最高の舞台。点数を上げるために多種多様の装備をお金をかけて揃えて全身を固めた選手ばかりの中、Tシャツと普通のズボンだけという、まるで「ちょっとそこらへんに買い物に行くかのような」格好でふらりと現れ、まるで無造作に撃つかのようにターゲットを淡々と撃ち、銀メダルを獲得した――。

美しいストーリーです。

実際に、当事者である本人や対戦相手も、「装備なし(no equipment)」というフレーズを面白がって使いながら互いを讃えています。オリンピックであってもあまり注目されることが少ない射撃スポーツ、それも特に日陰に追いやられがちな10mピストル種目が、ここまで世界中の話題を集めているのですから、ここぞとばかりに乗っかっていくのは、「競技者であると同時にそのスポーツを代表する者である」ことを求められる射撃スポーツ当事者にとっては、当然の態度と言えるでしょう。

 

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

Damir Mikec(@damir_mikec)がシェアした投稿


しかし、それも程度によります。

ヤバいなコレと思ったのが、共同通信発信のこの記事です。

無課金おじさん「質素の勝利」 無装備で射撃、世界が注目

記事中に

靴は競技用ではなく普通のスニーカー

というフレーズがありますが、これは明らかに事実と違います。中継映像を見ると、彼が試合中に履いていたのは底が平らな射撃専用シューズです。

左写真はNHK見逃し配信からキャプチャしたもの。右は射撃用品メーカーであるSAUERによる公式画像。

なぜこんな「嘘」が記事に書かれているのか? 記者が不勉強で、聞いた内容を誤解し言ってもいないことを書いてしまったのか、それともちゃんとインタビューすらせずに勝手に想像したことをまるで事実のように書いてしまったのか。一つ「誤り」があると、そのほかの部分も怪しく見えてきます。

とくに記事の最後に書かれているこの部分。

「本来、五輪の中心にあるべきものはフェアプレーで、自然な人間の能力だけで競うべきだ」と訴える。

解釈のしようによっては、いろいろと装備を使っている他の出場者を貶めているようにも読めてしまいます。本当にこんなこと言ったのでしょうか? 普段の態度や、他選手との交流の様子を見る限りでは、こんなこと言う人にはとても思えません。かなり「不自然」なフレーズに見えます。

ですがその一方で、この言葉はとても「美しい」フレーズです。オリンピックを見ている多くの人が、まさに聞きたいと思っている、いかにも喜びそうな、とても「政治的な正しさ」に溢れた発言です。実際にこの記事につけられたコメント(SNSなどでニュースを引用しての発信を含む)では、ここに触れている感想を多く見かけました。

しかしこの、いかにも正しく美しく見えるフレーズは、実際の発言を元にしたものなのか? 既に書いた通り、私は「かなり、怪しいのでは」と疑っています。

[8/10追記]この記事のバズりを受けてというわけじゃないとは思うのですが、共同通信がインタビュー動画の抜粋をYoutubeにUPしてくれています。


トルコ語なので共同通信によって付けられてる字幕と、Youtubeの自動生成字幕だけが頼りになりますが、上記の「2つの疑問点」についてまとめますと、

①普通のスニーカーを履いていたのは今回のオリンピック(パリ2024)ではなく、2012年のロンドンオリンピックのときのエピソードとして話しています。字幕でもちゃんとそのこと(ロンドンのときの話だということ)は訳されているのですけれど、記事からは抜け落ちちゃってます。ロンドンでそうだったんだからパリでもそうなんだと思いこんでそう書いてしまったのか、単に書き忘れなのかはわかりません。
※この、ロンドン五輪の時のエピソード、銃検の際に行われた審判とのやり取りはちょっと笑える(おそらく彼にとって定番ネタなんじゃないかと)のでぜひ動画はフルで視聴してあげてください

②装備否定とも取れる発言については、「ドーピングや、人間の体格を解剖学的に補助するような装備」について、それはオリンピックのフェアネスを損ねるものになるというようなニュアンスでの発言でした。前後関係から、射撃シューズや射撃専用メガネ(アイリスシャッターやブラインダー)までも否定しているかのように見えますが、多分それは切り取り(編集)による誤解じゃないかと。
※ただ、言葉の節々から「ライフル射撃(ピストルではなくライフルの方)が道具偏重になりつつある現状を憂いている」というような雰囲気をそことなく感じるのですが――これは私の偏見?
[8/10追記ここまで]

SNSを見ていると、同じような「無課金おじさん」に関するかなり好き勝手に思い描かれた「ストーリー」が見つかります。もちろん、フィクションであるということをちゃんと認識した上で楽しんでいる方がほとんどですが、中には「ガチ目に本気でそれが本当だと思い込んでる」っぽく見える危うげな人もちらほら見受けられます。代表的なものをいくつか書き出して、ついでにそれが「幻想」に過ぎないってことを根拠を挙げて解説していきたいと思います。

盛り上がってる真っ最中にコレをやったら、「せっかくのブームに水を差すな、黙って見てろ」って言われてもしょうがない空気読まずな行為になりますが、そろそろブームも落ち着き始めてるところですから、ちょっとおかしな方向に行きかけてる人については「それ、ちょっと違うよ」ってツッコミを入れておくというのは、その界隈に長く関わってきてある程度以上に詳しくなってしまってる人間の義務ってやつじゃないかと。

幻想①・彼はアスリートではなくプロの軍人だ

「いかにも射撃やってますみたいなアスリートっぽい人ではなく、プロの軍人らしい渋い顔立ちが格好よかった」

もちろん、格好いいって思うのは自由ですし、そこに魅力を感じてファンになるのも構わない、むしろ射撃関係者としてはファンが増えるのは大歓迎なのですが、これが行き過ぎて彼のことを「アスリートではないプロの軍人だ」と思い込んでしまう――みたいなところまで行くと、さすがにちょっとそれは待ってくれと言いたくなります。

ユスフ・ディケチは、生粋のアスリートです。所属こそ軍ですが、トルコ国内では国内記録を何年も保持し続けている圧倒的な強さを誇るトップレベルのピストル射手です。

そもそも「オリンピックの出場権を得る」というのは単に国を代表するってだけじゃ駄目で、国際大会に出場して上位に入って出場枠(QP)を自国のものとして獲得する必要があります。

今回、日本はそれができなかったため10mピストルには選手が一人も出場していません。候補選手がいなかったわけではありません。森川清司(広島県警)が出場権をかけて何度も世界大会に出場していましたが、最後のチャンスとなったリオで行われたパリ五輪世界最終予選において、577点の18位に終わり出場権を獲得できずという結果となりました。577って、かなり凄いスコアです。仮に今回のパリ五輪10mピストル男子の予選ラウンドだったら、577は8位タイ、ファイナル出場が手にかかる、文句なしのハイスコアです。

「オリンピック出場権をかけた世界大会」ってのは、そのくらいレベルが高いものなんです。各国とも超本気になって、コンディションを万全に整えたその国のトップ選手が、今こそ日頃の練習の成果を発揮する時だとばかりのマジモードで参加してきます。そういう大会で上位に入らなければ、そもそもオリンピックに出場できないのです。

「無課金おじさん」ことユスフ・ディケチは、そのオリンピックに5回連続で出場しています。それがどれだけ凄いことか。「軍人としての勤務の片手間でピストル撃ってる」みたいな印象を持ってる人もちらほらいるみたいですけれど、とんでもない誤解だと強く指摘しておきたいと思います。

これ、2024パリ五輪公式サイトに掲載されているユスフ・ディケチ選手の、これまで参加したことがある世界大会での戦績表です。とんでもない量です。スクロールしてもしても最後までたどり着かない! これだけ世界大会に参加していて、しかも入賞もけっこうしている(金銀銅メダルマークがついているのですぐわかります)のに、これまでのオリンピックでは44位(2008北京)、27位(2012ロンドン)、21位(2016リオ)、24位(2021東京)、13位(2024パリ)と、ファイナル出場条件である8位以内に届かなかった、その壁をついに破り銀メダル獲得となったのが2024パリでの10mエアピストルMIXだったのです。

幻想②・軍隊にはオリンピック選手よりずっと射撃が上手い人が大勢いる

「軍には、オリンピックに出てくるような人よりはるかに優れた射撃技術を持っている人がいくらでもいる。彼も軍で鍛えたプロとしての射撃技術を発揮しただけで、オリンピックにしか出ないアマチュアに勝てたのは当然のことだ」

これ、今回の件に限らずちょくちょく聞く話です。ゴルゴ13とかシティーハンターなどのフィクション作品には、「自分の射撃技術は優れているとうぬぼれている競技射手(メダリストだったりすることも)が、本当のプロである実戦射手に全く太刀打ちできずに負けてしまう」というようなエピソードが時々出てきますので、そういうのを見て無邪気に「本物のプロのほうがオリンピックメダリストよりも凄いんだ」みたいに信じ込んでしまってる人が広めたものなのかもしれません。

わざわざ書くのも水を差すみたいで申し訳ありませんが、これ、現実とは相当に異なります。競技スポーツとして行われている射撃において求められる精度は、「実戦」で求められるものに比べると桁違いに高いものがあります。軍のスナイパーだとか歴戦のヒットマンだとかを射撃場に連れてきて競技スポーツを本格的にやってる射手と公式ルールのもとで競わせたりしたところで、勝ち負け云々を言えるレベルになるかどうかすら疑問です。

(もちろん、軍隊や警察における射撃というのは、競技射撃とはまた違う特別な技術が必要になるでしょうから、逆に競技射手を実戦の場に連れて行ったところで役立たずにしかならない、というのも事実でしょう)

バルセロナオリンピックでラピッドファイアピストル種目に出場した木田知宏さんという方がいます。大阪府警所属の警察官です。もともと音楽隊を志望していたところ拳銃射撃に際立った才能があったので、特連(警察の射撃大会に出場するために特別に射撃の練習をミッチリと行うチーム)への配属を勧められた(実際にはほぼ強制)というのが、競技射撃を始めたきっかけだったとのことです。

最初は(ほぼ)警察官だけで行うセンターファイアピストル競技の選手としての特連入りでしたが、特連には他にエアピストル(10mピストル)やスポーツピストルやラピッドファイアピストル(25mピストル)やフリーピストル(50mピストル)といった、オリンピック種目を専門にやっている選手もいます。センターファイアピストルの選手として特連に入っているメンバーからすると、そういう「オリンピック種目をやってる選手」は、「雲の上にいるような連中であって、まったく住む世界が違う」という印象がある存在だったそうです。

木田先生の凄いところは、その「違う世界」とはどんなもんかを知りたいという気持ちから、自前でエアピストルの許可を取って競技を始め、メキメキと腕を挙げて実力で「その世界」の方でも国内トップレベルとなり、全日本選手権においては「全てのピストル種目」で優勝、果ては日本代表としてオリンピック出場権を獲得するという文句なしの結果を残すところまで行ったところでしょう。今ではその豊富な経験と知見を活かし、日本国内の多くのピストル射手(実銃を使う競技、エアガンでの競技を問わず)が教えを請う名コーチとして頼りにされる存在となっています。

「一般の警察官からすれば、オリンピック種目を撃ってる特連の人たちは別世界の住人に見えた」というのは、そういう経歴を持った方の言葉です。どこぞのミリタリーマニアがしたり顔で言う言葉と、どちらが信用おける言葉か? 比較するまでもないと思います。

幻想③・両目照準は軍人の証

「両目を開けたまま撃っているのは、常に周囲に気を配らなければならない軍での戦闘射撃を念頭に置いたもので、片目を塞いで撃ってる他の射手と比べてより『実戦的』なものだ」

ピストルでもライフルでも、競技射撃においては「照準時に、両目とも開けたままにする」のは基本です。もちろん基本からは外れた撃ち方をする人はいますけれど。ただ、実際に照準に使うのは片目だけです。これは万人に共通です。射撃における「照準」とは、遠くにあるターゲットと、近くにあるサイトを重ね合わせることです。両目で遠くにあるものと近くにあるものを同時に見ようとすると、必ずどちらかは二重になって見えてしまいます。ただ、人間の脳は両目でモノを見ていてもどちらか片方の目から入ってくる情報の方をメインとして扱い、もう片方の目からの情報は補助的に扱うという機能を持っています。メインとして扱う方の目を「ドミナンス・アイ」と呼びます。

ドミナンス・アイではない方の目から入ってくる情報は、射撃時には邪魔な情報となります。脳内でその邪魔な情報を意識的にないしは自動的に「無視」して、ドミナンス・アイから入ってくる情報だけに集中できる人、それがどうもうまくできないので非ドミナンス・アイからは映像情報が入ってこないように目隠し板を使う人、両方がいます。これはもう好き好きです。目隠し板を使っている人は、使うほうがスコアが上がるから使っているのです。使っていない人も、使わないほうがスコアが上がるから使わないのです。どちらが凄いとか難易度が高いとか、そういう問題ではないのです。

幻想④・左手をポケットに入れる理由

「左手をポケットに入れているのは、手が銃口の前に出て怪我してしまう危険を万が一にも防ぐための実戦的なものだ」

銃のグリップを握っているのと反対側の手が、何かの拍子に銃口の前を横切ってしまうというのは「スウィーピング」といって、特に連射できるタイプの短い銃を扱う場合には頻繁に発生しやすい危険行為の一つだというのは事実です。ピストルを使ったスポーツ射撃の中でも、連射できるタイプの銃を撃つ競技(例:ビアンキカップ)で片手で撃つことを強いられるステージにおいて、銃を持たない方の手を「万が一の事故」を防ぐために握りこぶしを作って胸の前などにしっかりと押し付ける、みたいな撃ち方をする場合もあります。

※写真はUS.ARMY公式サイトより

しかし、10mピストルにおいて左手をポケットに入れるのは、それとはかなり異なる理由によるものです。現在オリンピックで行われているピストル射撃は、全て銃を片手で持って撃ちます(ピストルとは本来片手で撃つもので、両手で握りしめて連射するようになったのはせいぜいここ50年くらい、最近になってからの流行です)。すると、当然のことながら銃を持っていない方の手が余ります。人間の腕ってのは普段はほとんど意識しませんが実はかなり重く、それが身体の反対側でブラブラと揺れていたのでは上半身の安定性に悪影響が出ます。

そういった理由で、使わない方の手はどこかに固定しておきたいわけです。固定といってもギブスめいたものでしっかりと固めてしまうとルール違反になりますし、それに弾を装填するのには左手を使いますから必要なときは自由に動いてくれないと困ります。なので、「ポケットに入れる」「ベルトのバックルあたりに親指を引っ掛ける」「腰に巻いたベルトに手を差し込む」という手段を取る人が多いのです。

幻想⑤・上げて止めてそのまま撃つのはプロだから

「ピストル射手の多くが、一度銃をターゲットより上まであげてから、ゆっくりと下ろして照準している。しかし彼は下から上げてピタリと止めてそのまま撃っている。これは際立って優れた体幹があってこそのもので、まさに軍での実戦射撃技術がベースにあるからこそ実現可能な撃ち方なのだ」

これ、ちょうど先日の日ラ主催ビーム体験会に指導者として参加したとき、ゲストとしていらしていた木田先生に質問したのと同じ内容なので、かなり確実な回答内容を書くことができます。オリンピック開催前の話なので今回の件とは全く関係なく、奥戸射場によくいらっしゃる初心者ピストル射手の方から質問を受けて、どう指導したものかと頭を悩ませていたところ、ちょうど木田先生に会える機会があったのでここぞとばかりに質問したという経緯です。

結論から書くと、「どっちが良いというのなら、いったん上げてから下ろすほうがいい。ただ例外があって、25mピストルをメインでやってる人は、そっちは上げて止めてそのまま撃つやり方が基本だから、それと同じ撃ち方をする人も多い」というものです。

まず、「いったん上げてから下ろすほうがいい」理由について説明します。

ピストル射撃は片手で銃を持ち上げて狙っているというその見た目から、「筋肉の力で銃を抑え込んで止めている」みたいなイメージで見られることも多いのですが、実際はまるで逆で、「全身の力を抜いた状態で、自然に銃がスッと止まる場所、そこが10点になるようにグリップだとかスタンスだとかを調整し、10点に止まっている状態(実際には10点周辺をゆらゆら揺れてる状態)なのを眺めながら、トリガーにゆっくりと力を加えていき、自然に撃発するのを待つ」という撃ち方をします。この、「脱力して自然に止まった状態にする」というのが最も重要なのですが、練習ならうまくできていてもプレッシャーがかかる大会となると身体のどっかにどうしても力が入ってしまう(力んでしまう)のが人間というものです。

力が入ってしまった身体から力を抜く、それをするためには「いったん上げてから下ろす」ほうが適しています。上げた状態で身体の様子を確認し、銃を下ろしながら脱力していく……という流れが作れるからです。しかし、銃を上げて止めて撃つ場合、「力を入れて銃を上げる」という動きからそのまま照準・撃発に至るため、意識して脱力するためのセクションを作ることができません。そのため、ただでさえ力みがちになってしまうプレッシャーがかかる状況では、どうしても余計な力が入ってしまって良い結果になりにくいのです。

次に、「25mピストルをメインでやってる人は下から上げて止めて撃つやり方もアリ」という理由について説明します。

25mピストルは今回のオリンピックでもTVerで放映されていましたしNHK見逃し配信でも見ることができますので、どういう競技なのかはご存知の方も多いと思います……が念のため説明すると、「5連発のピストルを使い、号令とともに銃を上げてすぐに撃つ」という場面がある種目になります。

銃を斜め下45°に下げた状態から、スッと上げてそのままパンと撃つ、そういう撃ち方をする場合、10mピストルのように十数秒もかけて身体の姿勢を確認しながら狙いをつけるなんてのは無理ですから、「①止まった状態から上方向に動かし始めて加速する」「②減速して止める」「③トリガーに圧力をかけて撃つ」という一連の流れを決まった流れ(ルーチン)として滞りなく正確に行う必要があります。それが25mピストルの射撃方法とされます。

25mピストルを本業としてる射手が10mピストルも撃つ場合、10mピストルのためにわざわざ「それまでは練習していなかった新しい撃ち方」を練習して身につけるよりは、すでに練習して十分に上達している撃ち方そのままで撃ったほうが良いスコアがでます。2つの撃ち方を別々に練習するより、1つの撃ち方に集中して練習したほうが、限られた練習時間を有効につかえて上達スピードが早くなる、という事情もあります。

話題になってるユスフ・ディケチ、それとその前に話題になってた韓国のキム・イェジの撃ち方は、その25mピストルでの射撃方法に準じたものに見えます。キム・イェジは25mピストルこそが本業(なんといってもワールドレコード保持者!)ですから、10mピストルでもそれと同じ撃つ方をしているのは自然なことです。ユスフ・ディケチは今回は25mピストル種目には出場していませんが、プロフィールを見るとトルコにおける25mピストルのナショナルレコード保持者(しかも10年以上にわたり更新されていないという圧倒的な強さ!)とのことで、やはり本業は25mピストルであり、10mピストルでの撃ち方もそこでの技術が基本になっているんじゃないかと思います。

※もっとも、よく見ると上げながら標的を少し通り越して、そのあと少しだけ下げて安定させる――というようなプロセスがあるように見えます。本当にわずかなので一般の方だと「上げて止めてそのまま撃ってる」ように見えてしまうのは仕方ないかと。

ただ、これも例外はあります。日本ピストル射撃の世界で名選手と呼ばれる人は何人かいますが確実にそのうちの一人である中重勝さん。アトランタ、シドニー、アテネの3大会に日本代表として出場しています。

彼は25mピストルも撃ちますが、その撃ち方は「いったん上げてから下げて止めて撃つ」という、時間がたっぷりある10mピストルでの撃ち方を超早回ししたものです。セオリーで言えば確実に「良くない」撃ち方です――が、10mピストルがあくまで技術の基本になっている中重さんにとっては、その撃ち方が「自分にとって、一番スコアがでる撃ち方」なんだと思います。

なお、「あンな撃ち方できるのは中重さんだけや……マネせんほうがええよ」とは木田先生の言葉です。


いかがでしたでしょうか。

「そんなんわかった上で楽しんでるんだから水を差すようなこと言うな」「長文うざっ」って思われてしまったでしょうか。思われただろうなあ……。

ただ、これだけは言いたかったこと。「普段着でふらっと来て無造作に撃って銀メダルを取っていった」というのは、そう見えるのは確かだしそれが魅力的だというのも確かですが、事実とは異なるということです。十数年もの間、国家を代表する選手として各種世界大会に出場しつづけ、5回連続でオリンピックの出場権を獲得してきたアスリートであるということ。「無課金」と呼ばれるその一見するとラフな格好も、ポリシーで「課金装備」を身につけることを嫌って不利であることを承知で「無課金」でいるわけではなく、いろいろ試した結果、目隠し板やアイリスシャッターは使わないほうが自分にはあっていることがわかったのでああいったスタイルになっているのだということ。

なにより、今回の銀メダルは、長年にわたる諦めないチャレンジによってようやく獲得できたものであって、断じて「ぽっと出がふらっときて簡単に獲得していった」ようなものじゃない、ということだけは、どうか皆さんにもわかって欲しいのです。

-実銃射撃

Copyright© あきゅらぼ Accu-Labo , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.