スポーツ

学校の部活動は、対外試合を禁止するべきだ

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以前から考えていて、実際にあちこちで主張してることなんだけれど、改めて文章としてまとめてみる。

学校の部活動は、本来なら自主的な活動であり、参加するのも参加しないのも自由、参加する場合でもどのくらいのレベルで参加するのか、あるいは参加しないのかも自由であるはず。だが自分自身の経験でも伝え聞く範囲でも、現状は全くかけ離れた状態、つまり参加は強制であり参加しないという選択肢は存在せず、休めばたとえ事情があろうが怒られる、それが学校の部活というものの実態になっている。

スポーツであるからには、試合をして勝つことを目的にしなければならないという絶対的な価値観があり、その「勝利至上主義」が放課後や土日を全て費やす長時間の練習や、もっと悪いことには体罰やパワハラにつながっている。事件化するものだけでも連日のようにニュースを賑わせているのだから、表に出ない問題を含めればどれだけ大勢の人たちが理不尽な苦しみに耐えていることだろうか。

ここで、そういった問題のほぼ全てを解決する、最も効果的な方法を提案したい。

高校(できれば大学においても)の部活動は、原則として対外試合を禁止するのだ。体育会系のみならず、文化系の部活動(吹奏楽部とか)についても同様だ。都道府県や全国でのトップを決める大会に学校組織として参加するなんてのは、もってのほかだ。対外試合は、複数の学校で合同練習会をする時についでに紅白戦をするなど、ごく限られた場合を除き、基本的に行ってはならない。

対外試合の禁止。これだけでいろんな問題が一気に解決することは間違いない。

冒頭に書いたとおり、学校の部活というのは本来なら自発的で自主的な活動であるというのがタテマエだ。ならば、それはあくまで、楽しく気軽に体験するという範囲にとどめるべきだ。もちろん、子どもたちの中にはそんなレベルじゃとても満足できず、もっと本格的にそのスポーツなり文化活動などをやりたいと思う子もいるだろう。なら、そういう子は学校の部活ではなく地域のクラブに所属すればいいだけの話だ。そこで、例えばU15とかU18といった年齢制限のある県大会や全国大会、さらに上を目指すならアジア大会・ワールドカップなどへの出場を目指せばいい。それが本来のありかただ。本気でそのスポーツをやってるガチ勢も、そうでもないエンジョイ勢もいっしょくたにして学校の部活という一つのグループに強制参加させて、同じ土俵で同じスポーツをやらせているのがそもそもの間違いなのだ。

たった3年間という期限付き、それも年齢による実力差のことを考えれば中心選手として出場を目指せるのは(ごく一部の例外的な存在を除けば)実質的に1回だけという一発勝負の全国大会が必要以上の価値を持ってしまったのが、全ての元凶なのだ。そのせいで、「そのスポーツをしたい」のではなく「スポーツを通した青春に全てを賭けたい」というニーズを呼び覚ましてしまった。美しい青春に見えるか? このことによる弊害はいくつもある。どれも見逃せない問題だ。

まず第一の弊害が、冒頭にも書いたが猛練習による子どもたちへの負担の大きさだ。実質的に一発勝負となる一つの大会に参加することだけが目標となるため、怪我をしても「今回は休んでしっかり治して、次の大会で頑張る」という選択肢が存在しない。怪我を隠す、怪我をおして無理な出場をする、そんなのが日常茶飯事だ。痛み止めを飲むとか注射するなんて話すら聞いたことがある。10代半ばの子供に痛み止めを飲ませて無理にスポーツの試合に出場させるなんて、はっきり言って正気の沙汰ではない。これは誰に聞いたって同じことを言うはずだ。

さらなる弊害が、子どもたちのみならず学校の先生や保護者の疲弊だ。百歩譲って指導者として熱心に練習に付き合う先生は「好きでやってること」だから良いとしても、指導なんかできない名ばかり顧問であっても、大会に出場するとなるとやたら複雑な上に提出期限の厳しい書類の山との格闘、大会に参加する子たちを競技団体に選手として登録する作業、大会当日は問答無用で休日出勤と、シャレにならない負担になる。「顧問がエントリーを忘れていて強豪校がまるごと大会に参加できなかった」みたいな事件は、はっきり言って珍しくないレベルで頻発しているが、これは逆を返せば大会へのエントリー手続きというものがどれだけ顧問を引き受けた先生にとって大きな負担になっているかの証拠みたいなものではないか。

弊害は他にもある。プロリーグがあるごく一部のスポーツにおける、ごく一部のトップレベルの選手を除き、卒業して引退してしまえばもうそのスポーツとは関わりがない「新たな人生」にためらいなく切り替わってしまう子がほとんどだという点だ。「そのスポーツをしたい」のではなく「スポーツを通した青春に全てを賭けたい」のだから、部活を引退してしまえばそのスポーツを続ける意味も動機もなくなってしまうのだ。決して少なくない国家予算を青少年スポーツ育成に費やしているのは、「生涯スポーツを通して人々の健康で豊かな生活を実現するため」というお題目があるからじゃなかったのか? 「高校3年間」で燃え尽きてその先にまったくつながらなくなってしまうのでは、せっかくの努力が無駄になってしまうのも同じだ。

かなりの暴論だということは自覚している。夏の甲子園、全国高校サッカー選手権、さらには6大学野球や箱根駅伝まで、日本のスポーツ文化の根幹を成しているといってもいい超有名で超巨大なイベントの数々を、廃止しろと言っているのだ。そんなことはできるはずがない、というのが大多数の意見だろう。

だが、伝え聞く学校の部活動の現状を聞くにつれ、思えてならないのだ。勝つために最大限の努力をするという、好きでやっているのならこれ以上ないほど楽しい充実した日々になるが、そうでないならこれ以上ないほど辛くて苦しい体験を、なぜ当然のようにここまで全ての子ども達に強制させなければならないのか。アレがあるから、スポーツというものに対する、一般の方々が持っているどうにもおかしな認識、つまり「辛くて苦しいものでなければ、それはスポーツではない」という歪んだ一般常識の育成にもつながっているのではないのか。

ならば、そんなものやめてしまえ。勝ち負けを競う場がなければ、勝利至上主義なんてものも生まれやしないだろう。全国一とか世界で戦いたいとか、そういう人はそれにふさわしい、学校の部活とは違う別の場に行ってやってくれ。それが一番健全で正しい状態ではないのか。

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