昨日掲載した2022年からの新しいファイナルについてです。
相当に劇的な変化ではあったものの、大多数の射手にはあまり関係のないファイナルに関するものだったことから、日本国内ではそれほど大きな話題にはなってないようです。見つけた範囲では、ルール変更について詳しく解説してるのはライフルショップエニスさんの公式Youtubeくらいでした。
では海外ではどうだろうか……ってことで、まいどおなじみの射撃競技専門BBSであるTargetTalkを覗いてみたのですが、基本的には「あまり芳しい評判ではない」って感じです。大多数の射手はファイナルにはあまり関係ないってところはそれほど日本と事情が変わるわけではないのですが、それを踏まえた上で、「ISSFが目指そうとしている方向性は、あきらかに間違ったものだ」と糾弾するような内容の投稿もちらほら見かけました。
新しいISSFエアピストル決勝戦フォーマット
引用元:TargetTalk "The New ISSF Air Pistol Finals Format"
- ISSFが新しいファイナルのルールを発表しました。私の個人的な意見ではありますが、このルール変更は「スポーツを殺す方法」と呼ぶべきです。退屈で、見る価値はまったくありません。
私は次のメッセージをISSFにメールで送信しました。
「この新しいファイナルフォーマットは、一言でいって酷いものです。嫌悪感しか感じません。今後、このフォーマットで開催される競技会を見ることはないでしょう。フォーマット作成時に、どのような娯楽用ドラッグが使用されていたのか不思議に思うほどです。
ブライアンラファティ
USAシューティングメンバー」(Bラファティ・アメリカ)
- 別に、これまでだって特に面白い観戦スポーツだったとは思いませんけど?(アデC・イギリス)
- かなり戸惑いを感じるルール変更ですよね。どういう目的でこんな変更をしなければならなかったのかが見えてきません。
以前のフォーマット変更については、なぜそれが行われたのか理由について理解できるものでした。ファイナルをゼロから開始することは、観客に見せる範囲を狭くすることで、そこで何が起きてなにが進行しているのかを理解しやすくするという効果がありました。誰でも、1ラウンドの射撃を見ればそこで何が起こっているのかを直感的に理解できます。彼らが射撃スポーツに精通していなくても。
新しいフォーマットは、主催者にとっては複雑で、射手にとっては複雑で恣意的です(特にセミファイナルなど)。通常の得点に対する感覚を完全に破壊するものです(たとえ何度か0点を撃ってしまったとしても、10点後半を数回撃つことで勝利できます)。こんなのは視聴者には理解できません。競技射手でもファイナルには出場することはない大多数には理解できないことさえあります。
いったい誰のためのルール変更なのでしょうか? 失われたもののかわりに得られるものがあり、それが十分にトレードオフになりうるものであるのならば、まだ理解できるかもしれません。しかし、それはただ単純に悪影響しか及ぼしません。まるでゲームデザイナー志望の10代の子供が、「ルール、ステージ、モードを追加する」ことで、どういうわけかゲームが面白くなると考えるようなものです。
私から見て、この変更がもたらす最悪の要素は、ファイナルが予選(訳者注:いわゆる本射のこと)とはまったく異なるイベントになってしまうということです。予選では、撃つ1発1発のすべてを理想の1発とするように心がける必要があり、またそうするための十分な時間的猶予も用意されています。与えられた時間をどうマネージメントするかというスキルは、予選において必要とされるものです。しかし新しい決勝戦では、いくつかのショットを「帳消し」にすることができてしまいます。他の3人が10を撃った場合、こちらが9を撃っても3を撃ってもカウントされるポイントは同じです。いくつかの10点後半と、いくつかのとんでもないミスショットを撃って合計点数がひどいものになったとしても、勝つことができます。予選では必要だった時間のマネージメントスキルは、完全に必要のないものとなります(もっとも時間については以前のファイナルでも同様でしたが)。
さらにばかげたことは、「予選」は大多数の射手がこの競技スポーツにおいて主要な部分として認識しているものであるということです。そうですよね皆さん? しかし現実的には、決勝戦を観戦する観客が見るのはそれとは別の射手によって行われる別のスポーツになります。オリンピックで4年ごとに数分しか行われない特殊な競技は、我々が普段行っている射撃スポーツとは違うものです。
これが誰のために設計されたのか本当に知りたいです。(グリッピー)
- >これまでだって特に面白い観戦スポーツだったとは思いませんけど?
まったくそのとおりです。射撃は、文字通りの意味で「静止のスポーツ」と言えます。経験豊富な射手でさえ、他の射手が何をしているのかを外部から観察することはできません。唯一の方法は、画面に数字が表示されるのを確認することです。それは例えて言うならば、損益計算書や貸借対照表を読むのと同じくらい魅力的です(訳注:死ぬほどつまらんって意味)。ルールを複雑にしたところで魅力が向上することはありません。
こういった残念な要素を見るにつけ、私は射撃スポーツはオリンピック競技から脱落することを、ほぼ望むようになりました。これらの歪んだルールの変更はすべて、オリンピックの視聴者イベントとしての関連性を維持しようとする必死の(しかし無能な)試みとして行われているものだからです。ルールは、4年に1回かろうじて存在する架空の聴衆ではなく、競技者に利益をもたらすように作成するべきです。(グリッピー)
- 決勝戦が、従来のようにX差で勝敗を決めるのではなく小数点を含めたスコアリングになったのは、極めてピュアでシンプルな変更だったと思います。なぜ、きちんと機能していて簡単に理解できるシステムを、台無しにしなければならなかったのでしょうか。
新しいシステムには欠陥があるということは、私の乏しい知識・経験からでもわかります。新システムでは、「捨てショット」すら可能になります。射撃スポーツに求められるスキルではありません。戦略ゲームになってしまったのかもしれません。(Xマン・アメリカテキサス州)
- >「捨てショット」すら可能になります。戦略ゲームになってしまったのかもしれません
それはどうでしょう? わざわざ悪い点数を撃つ理由なんてものはないと思います。同時に撃ってる全員が1発だけ撃って、最高スコアを撃った者が4ポイント、次点が3ポイント……という具合にポイントを獲得するというものです。旧ルールでは、例えば7を撃ってしまったら相当にヤバい状況でしたが、新ルールでは7は10.0と同じくらいか、または少しだけ価値があるかもしれません。これは奇妙なことです。戦略を立てる余地はあまりないと思います。予選では安定して撃ち続ける必要がありますが、決勝イベントではどういうわけか失敗に対してより寛容であるというのは奇妙なことですか?(グリッピー)
- 「面白さ」は「視聴者数」に直結します。射撃をしていない一般の視聴者にとって、システムは容易に理解できる必要があります。新しいシステムはそうではなく明らかにわかりにくいものになってしまっています。旧ファイナルでは予選の成績はゼロになりますが、これは理解しやすく、時には非常にエキサイティングなものになります。
これは間違いなく、スポーツをより「エキサイティング」に見られるようにする試みです。新しいフォーマットは、惨めに失敗することでしょう。
YouTubeのISSFチャンネルを見ると、新しいフォーマットの視聴者数がどのようになっているのかはっきりしていません。6か月以内に、新しいフォーマットでの視聴者数が減少したかどうかについて、ある程度の知見が得られるはずです。(Bラファティ)
- これらは興味深い変更です。25ラピッドファイアピストルに近づいているように見えます。
9.5を超えるものは1.0ヒットにし、ミスは0点にするべきです。
決勝では10.0だけがカウントされる形になります。(ンモンダル)
- >これは間違いなく、スポーツをより「エキサイティング」に見られるようにする試みです
私は、スポーツを見るのが面白くなる理由について考えることに多くの時間を費やしました。そして、ほとんどの場合、射撃は視聴することが面白いと思えるスポーツでは本質的にありえないと結論付けました。
カーリングとチェスは明らかにもっと見るのが面白いです。これらは、視聴者が状況の変化を観察し、次の動きが何であるかを推測し、ただの見学者の立場から戦略を立てることができる種類のスポーツです。射撃ではそういったことは起こりません。ゲームの状態は常に1次元の数字であり、次の動きは常に「10を打つことを試みる」です。
アルペンスキーのようなものも「数字を記録してランク付けするだけ」ですが、競技の様子を観察することができます。あなたは不安定なラインを取ってしまったプレイヤーが、次のスプリットでどれくらいの時間がかかるのかをハラハラしながら見守ることができます。ゴルフでさえ、一時停止の瞬間があります。あなたはボールが跳ね返って転がるのを見て、それがどこで終わるのか固唾を呑んで見続けることができます。射撃ではそうではありません。ある程度以上にハイレベルな大会では、選手の動きやミスを外部から感知することはできません。シューターのすぐ隣に立っていても分からないくらいです。彼らがひどいミスショットをしてしまった時も、あなたはその理由がわかりません。表示されるのは、静止している人とそれに続いて数字で表示される結果だけです。
多分、報道機関自身であれば「それ」がどれだけ難しいかを説明することができるでしょう。例えば体操のようなスポーツの場合です。カジュアルな視聴者にとって体操のスコアは決してわかりやすいものではありませんが、競技風景を見るだけでもそれが非常に印象的なスキルであることが直感的に理解できます。ターゲットシューティングの放映では、少なくても現時点では全くそうではありません。彼らは、射手から見てターゲットがどれほど小さいのかが視聴者に理解できるカメラアングルすら見せようとさえしません。彼らが画面に写すのは、常に正面からの間抜けなポーズと、スクリーンにポップアップするマジックナンバーだけです。競技生活に長い時間を間を費やした人だけが、10.8がどれほど良いか、8.5がどれほど悪いかを知っています。他の誰にとっても、それは単に無意味な数字です。
自分自身も競技者であるならば射撃競技を見て「面白い」と思えるかもしれませんが、「ランキングが変わるので、誰かに勝ってもらいたい」というのは、すべてのスポーツが持っていることです。友達と一緒にやれば、ペンキが乾くのを見るだけでも楽しいものです。それはペンキの乾燥を面白くしません……。
私の、これらの長文の熱っぽい投稿から、皆さんには私が相当に射撃競技に入れ込んでいることを察してもらえると思います。ターゲットシューティングは素晴らしいスポーツだと、私は思うからです。視聴者ではなく、実際に競技をする参加者にとって。年齢、性別、またはいくつかの独特の身体的特徴にほとんど関係なく、高レベルで競争できるスポーツは他にいくつありますか。
しかし、どういうわけか、ISSFは射撃が嫌いなことの1つに傾倒することに熱心なようです。「視聴者のスポーツ」になろうとすることは、参加者にとっては不利益でしかありません。(グリッピー)
- チェスは、良い解説によって観客にとって興味深いものにすることができます(JanGustafssonが思い浮かびます)。私は、「団体戦」のモデルを個々のイベントに適用できないかと思います。16ポイントに到達した最初の競技者が勝ちます。(Bラファティ)
- 「面白くなるかどうかは解説が重要」という意見に同意します。特にファイナルでは全員が一発ずつ撃つので、解説もしやすくなるはずです。とはいえ率直にいって、精密射撃競技は観客にとっては決して優しいものとは言えません。
私が興味をそそられるのは、落下板のラピッドファイアイベントで行われている実験です。古代(1950年代)にさかのぼると、ラピッドファイアはヒット/ミスの得点だったので、前例があります。ただしラピッドファイアのターゲットを通常の10mターゲットに適用するには、ターゲットの並び幅を縮小するなど、ポータブルで安価にする必要があります。一般的な射手でも、折りたたんで車に詰め込むことができるくらいにコンパクトである必要があります。(マイクM)
- コメンテーターによるコメントに何が期待できるというのでしょう?
「えー、8を撃ちましたねー、ちょっと悪いです。けど、なぜそれが起こったのかわからないし、修正するために何をしようとしているのかもわかりません。次の数字がもっと高いことを願いたいですねー」
いやー、素晴らしく面白いですね!?
見るのがつまらないのと同じ理由で、解説は機能しないと私は主張します。観察することはなく、したがってコメントすることはありません。チェスでは、コメンテーターはラインを指摘したり、視聴者が気づきにくい脅威に注意を向けたりすることができます。(グリッピー)
- 昨年だったかその前年だったかに、各ファイナリストがライフルにSCATTを取り付けた競技会(エアライフルのファイナル)を見たことがあります。すべての競技者のSCATTによる軌跡がリアルタイムで表示されました。
こういった工夫があれば、観客が射手によって行われた進行状況、動き、間違いを見ることができるようになります。より視聴者に優しいものになるでしょう。(アズモダン・ルーマニア)
- 軌跡を表示するというのはクールですが、射撃競技から「弾を発射する」という政治的に疑わしいとされる要素が取り除かれ、完全に光学的な競技になることを後押しする完璧なまでの言い訳にもなります。とにかく、銃器と鉛が禁止されることを私は恐れています。(オジウ・フィンランド)
- 射撃競技のすべてを「光学的」にするべきであるという考えの支持者は、それなりに多いようです。(エムレヌア)
- >見るのがつまらないのと同じ理由で、解説は機能しない
ISSFチャンネルには、対象となる分野で射手と協力してきた多くのまともなコメンテーターがいます。Arunivich(sp?)は特に良かった。昨年のデリーでのワールドカップのコメンテーターも良かった。優れたコメンテーターは、今撃った一発にフォーカスするだけではありません。可能であれば、興味深い「カラー」の解説を追加します。それはほとんど何でも面白いものにすることができます。(Bラファティ)
- 私は、状況は確実に悪い方向へ変化し続けているように思えます。以前はあまり考えていませんでしたが、オリンピック競技であることそのものが私たちの精密射撃の分野のほとんどに及ぼした全体的な悪影響について、グリッピーに同意します。大口径の大会ははるか昔の思い出になってしまいました。ランニングターゲット競技も同様に。フリーピストルはごく最近、排除されてしまいました(未だにそのことを書くのはつらいです)。上から下へとトリクルダウンする効果があります。国際レベルの競争、次に国内レベルでドロップされ、その後完全に消えていきます。すべて「観客の関心」の名の下に。(プロウイング・アメリカサウスカロライナ州)
- これに戻るべきだと思います(アデC)
Bullet Time: When Pistol Dueling Was an Olympic Event
- >国際レベルの競争、次に国内レベルでドロップされ、その後完全に消えていきます。すべて「観客の関心」の名の下に。
それは私には非常に奇妙な主張に見えます。かつて私は自国のジュニア代表チームに所属しており、フリーピストルは私たちにとって非常に重要なイベントでした。昨年、私たちの全国選手権に出場したのは1人のU21アスリートだけでした。その競技がオリンピック種目であるかどうかは、より多くの聴衆に何の影響も及ぼさないはずです。オリンピック種目であることは、予選のチャンスがある地球上のおそらく100人未満の人々にとってのみ重要なことです。しかも4年に1回だけです。それは本当に私たちのような一般的なアマチュア競技者にとって、その競技をする動機となるのでしょうか?とてもそうは思えません。
オリンピックから落とされたことで、個人的には正直なところ魅力的になりました。ファイナルをやめたからこそです。(グリッピー)
- 実はわたしは、何人かの人々に興味を持ってもらうことができれば、ちょっとばかりオールドスクールな射撃大会を開催しようと考えていました。私はいくつかのフリーピストルを持っていますし、アイアンサイトのブルズアイガンを持っている人なら誰でも参加することができます。紙のターゲットに10発撃って、貼り替えてまた撃つ。それを5回繰り返します。中央の10をXとして数えます。シンプルで純粋な魅力があります。(プロウイング・アメリカサウスカロライナ州)
フェンシングという、ドマイナー競技から大会場を超満員にする人気スポーツまで一気に変貌したスポーツがあります。改革の目玉となったのは、「なにが起こってるのかわからん」のを、「ひと目で何が起こってるのか分かる」形に、ITを始めとしたありとあらゆる手段を使って変革したことと言われています。
射撃競技も「射手が何をしているのか、何を競っているのか、まったくわからん」という点では同じようなものです。非競技者でもひと目見てそれがわかるようにするためには何が必要なのか、そもそもそんなことは可能なのか?
「そんなことは不可能だ=だから視聴者向けスポーツになることなんか無理なんだ」という主張をする人もいます。実のところそれが正解なんじゃないかって気もしないでもありません。しかしその一方で、「いやそんなことはない、やりようによっては射撃も『見て面白いスポーツ』に成り得るんだ」と考え、様々な改革をしようとする人もいます。
どちらが正しいのでしょうね。現時点では、私にはとても答が出せそうにないです。
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