※写真はWikimedia Commonsより、1992年、アメリカのライフル射撃チーム。
IOCの、「男女の競技種目数は同じでなければならない」という方針「アジェンダ2020」によって、男子にはあるが女子にはない射撃競技のいくつかが削除される可能性が高くなってきました。削除候補とされている種目の中には、近代オリンピックが始まって以来、ほとんどルール変更なしにずっと続いてきている唯一の競技である50mピストル(フリーピストル)も含まれています。
これはスポーツの伝統や歴史を破壊する暴論である……と、射撃競技者の中からは反対意見があがって来ています。まあ、当然の話ですね。でも、「だったら、どうすればよいのか?」ということについても提案しなければ、反対意見は単なるイチャモン以上のものではありません。
いくつかの代替案が示されています。その中でも多いのが、「いくつかの競技を、男女混合にしたらどうだろうか?」というものです。海外射撃掲示板から抜粋したうえで、わかりづらい部分には注釈や図での解説を付け加えてみました。
射撃を男女混合にするというのは、どのくらい現実的か?
引用元:TargetTalk
- 男女の競技数を同じにするためのより合理的な代替案として、フリーピストルを「coed(※)」にするとか、女子50mピストル40発競技を新設するというものがあります――これはアメリカの大学ではすでに行われています。もちろん、もしそうするなら他の競技も同様に「coed」にしないとなりません。それだけではなく、他の非オリンピックISSF競技(例えばセンターファイアピストルとかランニングターゲットとか)のスペースに侵食していくことにもなるでしょう。
とはいえ、全般的にみて射撃競技に対しては非常に冷淡な態度を取るIOCだけに、そんな案を受け入れてもらえるとは思えません。それに競技を「coed」にすると、結果として女性競技者を減らしてしまうことにもなりかねません。
(国籍不明・アメリカ英語が混じってるんで多分アメリカ)
- 最古のピストル競技の一つが排除されてしまうというのは残念な話です。もし「男女平等」がそんなに重要だというのなら、全ての競技を男女混合にしてしまえばいいだけの話ではありませんか? 実際、1964年から1980年までのオリンピックではそうしていたのですから。(ベルギー)
- 会場の問題から考えてみましょう。クレー射撃は基本的に男女競技で別の施設を使うということはありません。ライフル&ピストルの場合は、10m射場と50m射場の2種類だけになっていくことが予想されます……現実に、そういう射場は数多くあります。となると、25m射場を使うスポーツピストルの女性を50mピストルに誘導することで25m射場を作る費用を節約するという考え方が成り立ちます。
これはナイスアイデアでしょうか? いや、私はそうは思いません! たとえ2種目にしか使われない施設だったとしても、私は25mピストル競技が失われてしまうことは我慢なりません。
RFPやSPを残したい場合、「女子ライフル伏射を追加するため、FPは廃止しなさい」と言われてしまうことでしょう。その上でダブルトラップを男女混合とすることで、「男女7つずつの男女別競技+男女混合競技」という形になります。
……とはいえ、この案はライフル競技が6・ピストル競技が4になってしまいますし、政治的にも通らないでしょう。5つの競技を選んで男女混合にするという方法のほうがまだ現実的です。(国籍不明・アメリカ英語が混じってるんで多分アメリカ)
- ライフル・ピストル・ショットガンの全てから1つずつ男子競技を無くして、その後にそれぞれに男女混合競技を追加するというのなら、「①全部で15競技」「②男女の競技数が同じ」という要求は満たしますね。
ただ、IOCはうんと言わないでしょう。馬術とセーリング以外に男女混合競技の存在は許されないんじゃないかと思います。(イギリス)
- FPを無くしてそれでどうする? スノーボードやらカーリングみたいな、ホモ野郎しかやってないクソみたいな競技で置き換えるっていうわけ?
FP60とAP60はぜんぜん違う競技だろうが。APしか撃ってねーやつがFPの難しさに音を上げてディスってるのはよく見るけどな!
だいたいさ、その平等だかなんだかってタワゴトぬかしてんのはどこのF●●K野郎だっつーの。男女のスコアを見比べてみろって話だよな。AP60を40に変換すればファイナルに出るヤツはほぼ確実に390オーバー撃ってるけど、AP40で390オーバーなんてめったに見ねーだろ。
もし今、AP競技を男女混合にしたりしたら、ファイナルに出れる女なんて世界中に1人いるかどうかだぞ。ほぼ確実にファイナルに出れない、まず絶対に勝てない、そんなことになったらどんだけ女性のやる気を失わせることになるんだろうなー?
男女の性差を無視して、低いスコアしか撃てない女子と男子を「平等」に扱うなんてのは、完全なナンセンスだよ。他の競技と同じ。(国籍不明…使ってるスラングから察するに多分アメリカ人)→カーリングやスノーボードは冬季競技なので、夏季オリンピックには影響を与えません。
同性愛者という言葉を軽蔑のニュアンスで使うのは褒められたことではありません。
過去のオリンピックでは男女混合で射撃競技が行われたことがありますが、実際に女性がいくつかのメダルを獲得しています。
射撃競技が減るのは正直言うと嫌ですが、フリーピストルとスポーツピストルが男女混合になること自体は別に問題ないんじゃないかと思います。(国籍不明)→女子3姿勢の世界記録は、男子のそれよりもハイスコアになっています。10mライフルの記録はほぼ同じですし、クレー射撃にいたっては男女ともに満射です。3姿勢競技では、女子は銃身やライフルの重量の制限が男子よりも厳しく、実質的に「より劣った道具」の使用を強制されていることを考慮すれば、この事実はより印象的になります。
- 「競技数を増やすのは不可能」というのは、実のところどこまで本当なんでしょうか?
競技にかかる日数とクォータスロット数に変化さえなければ、IOCは競技の数そのものにはそれほどこだわらないんじゃないかと、私は思います。「女子フリーピストル」の新設は十分にありえます。。女子フリーピストルが新設されれば、他のイベントからクォータスロットを奪ってくる形になります。
実はフェンシングが似たような問題に直面し、競技をいくつか入れ替える形で解決したことがあります。完璧な方法とはいいませんが、とりあえずなんとかなりました。(国籍不明・多分アメリカ)→>現在、女性でフリーピストルを撃ってる人がほとんどいないのは、それがオリンピック種目ではないから
過去、フリーピストルが男女混合だったことがありますが、その時はフリーピストルを撃つ女性はほとんどいませんでした。なぜ今なら違うことになると思ったのですか? 女性に熱意を呼び起こさせるというのは、とてもむずかしいことだということを認識しましょう。
水泳競技について疑問に思ったことはありませんか? 私は、遠い遠い昔に水泳選手だったことがあります。水泳は一つの大会で大量のメダルを獲得することができます。そのことは多くのスポンサーを集め、TVでの放映時間枠の獲得に繋がり、それはさらに年間のイベント数の増加に繋がります。
私は30年来のフリーピストル選手でもあります。その上で言いますが、フリーピストルを撃ちたいという女性はそれほど多くないでしょう……残念ながら。(アルゼンチン)
- 参加できる大会が増えれば、女性のフリーピストルシューターも増えていくだろうと私は考えます。参加種目を減らすよりは、「弱い性」に対して門戸を開く方が良いはずです。射場も50mライフルと同じものが使えるわけで、余分なコストが増えるとは思えません。
ところで、アン・ゴフィンを知っていますか? 彼女は1974年のモントリオール・オリンピックでフリーピストルに参加しています。元々はエアピストル選手だったところが、参加機会があったためフリーも撃ったという経緯だったんじゃないかと思います。FP撃ちではない選手の成績としては515は決して悪くありません。(ベルギー)→エアピストルがオリンピック公式競技になったのは1988年のことです。1974年オリンピックでは、彼女が参加するにはフリーピストル以外の選択肢がありませんでした。(ニュージーランド)
→なんと、そうだったのですか! アン・ゴフィンは数多くのAPとSPの大会に参加していまして(その多くで良い成績を残しています)、特にベルギーではエアピストル撃ちとして良く知られているのですが、それ以外の分野での成績については調べてもよくわからなかったのです。(ベルギー)
アン・ゴフィン オリンピックでの成績
男女別々の枠を同じ数だけ設けることと、枠など作らずに男女混合にすることと、どちらが「男女平等」なのかってことは、もうこれは人類という生物につきつけられた永遠のテーマみたいなものなのかもしれませんね……。正解を言おうとすれば、「ケースバイケースであって最適とされる選択は状況によって異なる」っていう、答えにもなんにもなってない回答にしかならないのでしょうけれど。
男性にも女性にも、その性であるがゆえの特権を与えずに両方とも平等に扱うという点では「男女混合」が「正しい選択」なのでしょう。しかし射撃に限らず多くのスポーツにおいて、そんなことをすれば結果的にトップレベルの選手が男性ばかりで占められてしまう(あるいはその逆になる)のは火を見るより明らかです。それはそうでない方の性を持つ人間にはメダル獲得のチャンスがほとんどなくなってしまうという「差別」を生じてしまいます。
もちろん、個々の例を見ていけば「ほとんどの男性を凌駕する素晴らしいスコアを撃つ女性」は存在します。ただ問題なのはそういう人が一人いた、二人いたという話ではなく、射撃スポーツを男女混合にすれば上位陣の男女比が偏ったものになるのは避けられないという厳然たる事実です。
多くのスポーツは、男性と女性それぞれに競技種目を分けることで「男女平等」を実現しようとしてきました。しかしスポーツそれぞれの性格や特長から、競技者に男性が多く女性が少ないスポーツ、あるいはその逆のスポーツというものがあります。男女の種目数が同じだと、競技人口が極端に少ない種目が生じてしまい、その種目では女性が男性に比べて遥かに容易に上位に行けたり、その逆だったりするという問題がスポーツによって生じることになります。男女で種目数に差を付けることでその問題をなんとかしようというのが、現状で多くのスポーツが選んだ選択肢なわけです。完璧に正解だとは言えないものの、とりあえずは「最も男女平等に近いありかた」として選ばれているのが現状であるとも言えます。
男女平等の旗印のもと、その現状に「NO」を突きつけたIOCのアジェンダ2020。これが、最近流行りの「政治的な正しさ」を過剰に追い求めるがゆえの暴論なのか、それとも真の男女平等に繋がる画期的な改革になるのか、冷静に見守っていく必要があるのかもしれません。