アメリカ銃社会

「悪いのはアイツだ、アイツのせいだ!」ちょっと待て、本当にそう?

投稿日:2020年5月8日 更新日:


各国の、銃の所有率と銃による殺人・自殺者の率をそれぞれグラフにしたもの。両者には相関性は全く見られないことがわかる。引用元:Ammoland

「アメリカは世界人口に占める割合が5%未満だが、1966~2012年の世界の銃乱射犯の31%を占める」
というフレーズ、聞き覚えがある人も多いかもしれません。だいたい2~3年前ほどでしょうか、衝撃的な統計結果としてあちこちのニュースなどで引用されていたものです。

この数字は、アラバマ大学のアダム・ランクフォード准教授による論文を引用したものです。2016年に発表された世界中のマスシューティング(銃による短時間での大量殺人、いわゆる乱射事件のこと。以降は乱射事件と訳します)の分布を調査した論文です。「銃社会アメリカ」「アメリカの病」といった内容を書こうと思うときにはうってつけのデータですから、そういう立ち位置のメディアにはこぞって引用されました。2017年11月のニューヨーク・タイムズ「なぜアメリカではこんなに銃乱射事件が頻発するのか?(What Explains U.S. Mass Shootings? International Comparisons Suggest an Answer)」という記事でも引用されています。記事内で書かれている、「アメリカの人口は世界の約4.4%だが、世界の銃の42%を所有している」というフレーズも、この手の記事ではよく見る数字です。

ところが、このランクフォード氏の研究――というかランクフォード氏の研究態度そのものについては批判もあるようです。代表的なのがFOX Newsの記事です。以下に該当記事へのリンクと、簡単に抜粋した翻訳を掲載します。

「ある研究者たちが、広く引用された銃の研究を『撃って穴をいくつか開けました』」

Critics shoot holes in widely cited gun study


※なお、ここでいう「撃って穴をいくつか開けた(Shoot holes)」というフレーズはもちろん文字通りの意味ではなく、「批評する、あら捜しをする」というような意味のある英語の慣用句です。

フロリダ州立大学の犯罪学教授であるゲイリー・クレック氏はFoxNews.comに、「ランクフォードの「研究」は、研究を装ったジャンクサイエンスにすぎず、学術誌に掲載されるべきではなかった」と語った。

調査結果を調査しようとしても、ランクフォードはどういうデータに基づいて調査をしたのか詳しいことを明かそうとしない。そもそも世界中の46年分の銃撃事件を調査するということは不可能だ。アメリカではそれは「めったに起こらない悲劇」であるから記録され記憶され、データも見つかるが、銃が当たり前に存在していて大量殺人も日常的に起きているような国では大量の他のニュースに埋没して詳細なデータとしては残らないからだ。

英語が公用語ではない小さな貧しい国もたくさんある。それらの国の50年間の事件情報をどのようにして調査したのかランクフォードは漠然としたヒントしか提供していない。トリニティカレッジの経済学教授エドストリンガム氏の研究では、ランクフォードは乱射事件の統計をNYPDのデータに頼っていると考えられるという。NYPD自身が、それは英語をベースにしたオープンソース文書の検索で得られたデータであり、アメリカ以外で起こった乱射事件の数を過小評価するものだと指摘している。

FoxNews.comはそのことについてランクフォードに尋ねたが、彼は、「私のデータは英語の検索に限定されたものではない」と答えたものの、ではどんな言語で検索したのかと尋ねると彼はその情報の提供を拒否した。

「英語でしか検索しないのでは、世界の英語圏以外の関連ニュース記事はほぼ完全に省略されてしまう」とクレック氏は語る。

ランクフォードの論文を発表したViolence and Victimsの副編集者は、論文を掲載するにあたりファクトチェックは行っていないと語る。「通常、著者の完全性を信頼しており、専門家が異議を唱えるようなことがない限り内容が疑問視されることはほとんどない」


統計のとり方がどうだろうが、アメリカで銃乱射事件がいくつも発生しているのは紛れもない事実なのだから、アメリカが異常な国だということは否定できない……と思われるかもしれません。確かに、現実に乱射事件で人生を望まぬ形で終わらせられてしまう人にとっては、その乱射事件が諸外国と比べて多く起こっているものなのか、それともそうでないのかなんてことは何の関係もないことです。

しかし、統計を取るのは原因を予想して対処するための方法を考えるためです。アメリカだけが突出して乱射事件の発生率が高く、銃によって殺される人が多いというのなら、その原因はおそらくアメリカにだけある何らかの異常性が原因になっているのではないか、という予想が立てられます。そうであるのなら乱射事件や銃犯罪の数を減らすためには、その原因となっているアメリカにだけある何らかの特徴を探し出し、それを潰していくような法制度を作ったり取締や教育を行ったりするのが正しい対処方法になります。

だがそうではなく、実はアメリカで発生する乱射事件の数は諸外国に比べて突出して多いわけではなく、銃犯罪の発生率もそんなに高くないのだとしたら、「アメリカにだけある特徴」を潰していくことは意味がないばかりかヘタすると逆効果になる可能性だってあるわけです。

望まぬ死を迎えざるを得なかった人の家族や恋人や友人にとって、「あなたの大切な人の死は、世界中で発生しているよくある事例の一つにしか過ぎません」と言われるより、「乱射事件が頻発するアメリカは異常です。この国を正しい形にするために戦いましょう」と言われるほうがずっと心に響く言葉になるであろうことは、容易に想像が付きます。どんなありふれた悲劇だって、当事者にとっては特別なものです。悲しみにくれる人にとって、「その悲劇には原因がある、それは○○のせいだ」という言葉は、怒りの対象を与えられるという意味でとてもありがたいものになるに違いありません。

それに対し、統計データを綿密に調べることでそれは原因ではないということを証明しようとする人の言葉は、それはもう筆舌に尽くしがたいほどに、冷徹で非人間的で感情のかけらもない突き放した言葉に聞こえることでしょう。たとえばこんな記事です。Ammolandという、射撃スポーツ関連のニュースを集めたサイトです。これも要点だけ抜粋します。

アメリカにおける銃乱射事件の発生数あるいは実行犯は、本当に異常なほどに多いのか?

U.S. Outlier in Mass Public Shooting Events, or Singular Mass Shooters?


犯罪防止研究センターの創設者であるジョン・ロット氏とウィリアム&メアリー大学の経済学教授であるカーライル・ムーディ氏は、独自に調べた乱射事件発生数が、ランクフォードの言う「アメリカ人が世界の31%の乱射事件を起こしている」という数字とあまりにもかけ離れていることについて疑問を呈している。ロット氏とカーライル氏による批判は、主に定義についてのものだ。ランクフォードは自分の統計から、乱射犯人が複数人であったケースを除外し、同時に本来なら除外しなければならないテロ行為を除外していないと指摘している。

ロットとカーライルによると、「乱射事件」を、FBIによる定義を厳密に守った上で調べた場合、アメリカにおける乱射事件の発生数は世界の2.9%に過ぎないことがわかるという。このデータは1998年から2012年までの統計である。インターネットの使用が一般化する前の出来事については犯罪データを見つけることは非常に難しいという。

「乱射事件」という言葉の定義には混乱と争いの長い歴史がある。国の指導者や法律を作る立場の者達によって定義はさまざまに書き換えられてきた。都合の良い数字を出すためである。そこから導かれる統計データには政治的な意味がある。

定義によって変わらない数字、すなわち銃による殺人率や自殺率を見てみれば、銃の所有率とそれらの間には相関関係がないことは、各国の研究データからかなり明確になっている。ランクフォードの研究結果は、アメリカでは他の国よりも1人の乱射犯人による大量殺人が際立って多い可能性があるということは示しているが、それは全体的な銃による殺人率が銃の所有率に影響を受けているかどうかとは関係がない。

ランクフォードは、銃規制を極端に厳しくすることによって犯罪を激減させるという成功を収めた例としてオーストラリアを挙げている。だがオーストラリアの銃規制は明確に成功しているとはいえない。いくつかの論文では殺人や自殺の発生率に優位な影響はないとされている。乱射事件の数については、オーストラリアでは1996年までの25年間に4回、1996年からの23年に1回が発生しているが、数値は非常に小さく統計的に意味があるデータとは言えない。


悲しみや苦しみの中にいるとき、「その原因はアレだ。アレのせいであなたは苦しんでいるのだ」と言われたら、その言葉に乗ってソレを憎み、はては実際に攻撃を始めてしまう――というのは、新型肺炎に世界中が苦しめられている今ならば、心当たりのある現象は身の回りにいくつか見受けられるんじゃないかと思います。場合によっては自分自身がその渦中にいる人もいるかもしれません。憎しみは時に救いになることがあります。それは確かです。

けれども、その憎しみの対象が、苦しみの原因でもなんでもなかったら? その攻撃が全く見当外れなものでしかなかったら? 問題解決につながらないばかりか、不幸をただ増やすだけの結果にしかなりません。場合によっては問題の解決を先送りする最悪の結果になる可能性すらあります。苦しんでいる心に寄り添う優しい言葉の正体は、実は新たな苦しみや悲しみを作り出す悪魔の囁きそのものであることだってあるのです。

最後に、上にリンクと抜粋を掲載したAmmolandの記事の締めとなっていた部分を書いておきたいと思います。


大手メディアは、しばしば自らが正しいと信じる思想の実現のために、極めてレアな出来事をさも大事件であるかのようにもり立てて報道することがあります。その印象に基づいて社会を変革する必要があるのだと思いこんでしまうのは、良くないことです。特定の思想を持った者が、めったに起こらない出来事を自分たちの政策選択を正当化するために利用するというやり方は、民主的なプロセスを思い通りに操ろうとするときによく用いられる手法なのだということを忘れてはいけません。

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