7月18日~19日の2日間にかけて、東京浅草にある産業貿易センター台東館にて、日本で開催されているエアガンを使った精密射撃系の大会では最大規模である「APSカップ」の本大会が開催された。今年で第25回になる。
第1回が開催されたのは1992年のことだから、もう23年もの歴史があるってことになる。参加者の年齢層は10代から60代・70代くらい?の方まで多種多様だが、APSカップが始まってから生まれたという人もずいぶんと多くなってきているんじゃないだろうか。
ここ数年は、開催場所を錦糸町にあるすみだ産業会館サンライズホールに移して開催していたAPSカップだが、古巣にあたる都産貿台東館がリニューアル工事を終えて再び使えるようになったので、久々に戻ってきたというわけだ。基本的には昔のままではあるけれど、耐震工事が施されたのであろう、壁や柱の感じや天井にある照明なんかがちょっとだけ変わっている。
変更になったのは会場の雰囲気だけではなく、競技進行の上でのお約束事がちょっとだけ変わった、というか規定が厳密になった。セーフティだとか、銃口カバーだとかをメインジャッジの指示に従ってしっかりと行わなければならないという変更だ。
安全対策なのだからそこらへんがいいかげんじゃ困るってのは確かにそのとおりではあるのだけれど、なんかその規定というのが根本的なところで非常識というか、「これ、逆に危ないんじゃなかろうか」と心配になるものだったりする。まだ射座にすら入っていない、射座の後ろにある待機場所に座って待っている状態で、もうマガジンを装填して「さあ撃つぞ」という状態にしなければならないというのは、違和感がありすぎる。セーフティによってトリガーをロックすることで「安全である」とみなせるのだからOKと言われても、精神的に許容できない。コッキングをしてないのだから引き金を引いても弾がでないから大丈夫というのなら、そもそもセーフティをかける意味があるのだろうか。(弾をチャンバーに装填するのは射座に入ってから、というご指摘を受けまして記述を訂正しました。7/27)
そのセーフティのON/OFFや銃口カバーの着脱を、射座に入る前/後だけではなく競技中であっても頻繁に行わなければならない。ブルズアイ競技でターゲットを交換するためにジャッジが射線より前に出るときにそれを行うのは、まあ当然のことだとしても、シルエット競技でスタンディングからプローンに移る時もそれを行うというのは、なにか意味があるのだろうか?
「撃つ直前まで弾はロードしない。弾をロードするのは、射座に入って競技開始時間が来て撃つ直前になった時だけ」というのが、競技射撃での安全対策の基本だ。これを守れば、そもそもセーフティなんてものは必要ない。セーフティをかけてあるから大丈夫だとばかりにマガジンを装填した状態の銃を射座の外で持ち歩いても構わない、なんてのは、射手にもジャッジにも余計な手間と心配を増やすだけで、安全対策としてはそもそもの前提が間違っているんじゃないだろうか。
射座に入るまでは、弾はロードしない、マガジンは装着しない、当然コッキングもしない。
サイティング練習をする時もその状態。
それが終わって、さあ競技を始めるという段階になって、弾をロードする/マガジンを装着する、そしてコッキングをする。それが終わったら競技開始。
こういう手順にすれば、セーフティのON/OFFといった「余計なこと」に、競技者もジャッジも煩わされることなく、なおかつ安全に競技進行できるはずだ。競技時間が長くなってしまうという心配もあるかもしれないが、その差は僅かなものだと思われる。
……まあ、個人的な意見ではあるのだけれど。
最後に、ちょっと小難しい話を。
以前は、JASG加盟メーカーや一部のショップによる新製品の展示や即売なんかも同時開催されていたことがあるが、ここしばらくはそういうのは行われていない。スポーツ振興のための助成金を受けている関係で、そういった「特定の企業の儲けにつながること」を大会の一部として行うことに制限がつくとかなんとか、いろいろと厳しくなっているのだ、という話を聞いた。
そういうのは、実は日本のスポーツ振興における問題点の一つとして良く例に挙げられる部分だったりもする。税金、ないしは公共性の高いお金を使っているのだから特定企業に利便があってはならない→誰もに平等に公平になるような活動をする、あるいは施設を作るときも皆に平等なものでなければならない→結果として出来上がるのは、誰のためなのかが不鮮明なまま作られた誰も喜ばないイベントあるいは施設になってしまう、というもの。
アメリカなんかだとそこらへんの考え方が実にリアリスティックで、イベントであれ施設であれ、それを維持して長い間人々に親しまれるものにしていくためには、なにより利益をしっかりと上げ続けていかなければならないという大前提があり、利益を上げるためには最大の利益供与者に対して最大の利便を図るのは当然のことであるというコンセンサスがあると聞く。公共性も重要だが、それ以前にまず収益性が確保されていなければ意味がない。「税金などを使ってやってるんだから、特定の企業や団体に利便を図ってはならない」なんて発想自体がナンセンスなのだという考え方らしい。だから公共施設であっても特定の球団のために特化した作りになっていたり、スポーツイベントであっても企業が強く関わっていたりすることも珍しくない。
APSカップは、いまさら言うまでもないがマルゼンが長年かけて育ててきたエアガン射撃競技だ。これまでの数十年間にわたってAPSカップの普及と振興にかけてきた手間や費用は、言葉は悪いがそれほど大企業というわけでもないマルゼンにとっては、莫大なものと言って構わないだろう。
マルゼン以外にも、APSカップに力を入れているメーカーやショップは少なくない。メーカーでいうならKSCは意欲的なAPS競技用のエアガンを作り続けているし、ショップでいうならピンポイントシューティングでいつもお世話になっている赤羽フロンティアや、蔵前工房舎、京都にある國友銃砲火薬店もAPSカップに力を入れているショップとして有名だ。具体的な儲けにつながっているとは思えない……「エアガン業界がこの先生き残るためには、スポーツ射撃という文化の普及と振興が絶対不可欠だ」という理想と希望をもって、見返りを求めないサポートを続けてくれているというのが実情だろう。
これはこれで素晴らしくて美しいことではあるのだけれど、「サポートしているのだから、それなりの見返りがあっても良いはずじゃないのか」というのも、それはそれで当然の発想じゃないかと思う。収支でプラスになればそりゃ最高だけれど、そこまで行かなくても「我々は、この大会に協力しているのだ」ということをもっと大きくアピールすることが許されるような環境を整えることくらいはしてもバチはあたらないんじゃないかと思うのだけれど。
文中敬称略