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フル・サークル ―ベルリン1945―

投稿日:2015年5月19日 更新日:

物凄く久しぶりに、演劇ってものを見てきました。劇中で使用されるプロップガンの製作を少しだけ手伝った縁でご招待いただきました。

演劇というと、一流の人たちによる本格的なものとなると幼少時に連れて行かれた「奇跡の人」の公演以来、小さい劇団による小さい公演を含めても学生時代以来ですので、本当に「ン十年ぶり」な感じです。
 

image劇団俳優座公演No.324
紀伊國屋書店提携
「フル・サークル ~ベルリン1945~」
原作:エーリヒ・マリア・レマルク
潤色:ピーター・ストーン
訳・演出:勝田安彦2015年5月14日(木)~21日(木)
紀伊国屋ホール[新宿駅東口]

公演自体は今日明日明後日で終わり、しかも明後日の最終日は既に売り切れってことですからもう今日明日しかないわけで、ここで宣伝めいたことをしてもあまりチケットの売上には寄与しないかもしれませんが、せっかく見たので感想がてらいろいろと書いてみたいと思います。けっこうネタバレもまじりますので注意。

終戦間際のベルリンにあるアパートの一室を舞台に、未亡人、収容所から脱走した男、ゲシュタポの隊長の3人を軸に話が進みます。基本的には「反戦がテーマ」ってことになっていまして、関係者コメントなんかを見ても「戦争は本当にいけないことだと思いました」だとか「日本がおかしな道に進もうとしている今こそ何が大事なのか見つめなおさないとならない」とか、ちょっと香ばし目のフレーズが並んでいたりします。パンフレットにある演出家さんのコメントを見ても、今の日本、安倍総理が進めている安保政策の変換などに危機感を持ち、それに反対する意思が示されていたりします。

実際に、劇中では小山力也さんが演じる、政治犯として収容されていたところから命からがら脱走してきた男が、「自分の罪は、火事になっているのに声を上げなかったことだ」と言うシーンがあります。祖国であるドイツが、ナチスの手によってどんどんおかしな方向に突き進んで行く様子を目にしながら、それに対して「これはおかしい」と自分を含めたドイツ国民がちゃんと主張しなかったからドイツはこんな有り様になってしまったのだ、という意味ですね。それをもって、今の日本の動きに対して警笛を鳴らし、安倍総理の政策に反対するべきだと言いたいのかもしれませんが……。

言っちゃなんですが、この劇を最初から最後まで見て、そんな解釈をしてしまうようなら、そいつはいったい何を見ていたんだと問い詰めたい気分です。「火事になっているのに声を上げない」のは確かに罪かもしれませんが、「火事を消そうとしている人を全力で邪魔する」のに比べれば100倍マシです。この「フル・サークル」というお話を通して描かれていることは、「国家による理不尽な暴力に対抗できるのは、結局のところ国家による理不尽な暴力だけである」という、極めて残酷でやるせないけれど、物凄く単純でわかりやすい事実です。

作中で、暴力を使わずに自己犠牲によって状況を一変させることに成功した人物がただ一人存在します。このお話の中で「勇者」と呼ばれるにふさわしい人物がいるとすれば彼だけでしょう。ですが、自己犠牲というのは言い換えれば自分自身への暴力に過ぎません。その意味では、彼の行動もまた、暴力をもってしか暴力に対抗できないという残酷な現実を突きつけていることにほかならない……とも言えます。それに、彼の自己犠牲は実のところ「その場しのぎ」にはなりましたが、問題は何一つ解決されませんでした。言いたいことだけ言って自分だけ先に退場してしまったようなものです。

個人の主義だの主張だの、英雄気取りの自己犠牲だの、永遠を誓う愛の言葉だの、あるいはずる賢い世渡り術ですら、国家による理不尽な暴力の前には、なんの意味をもなしません。全くの無力です。国家による暴力に唯一対抗できるのは、国家による暴力だけです。だからこそ国家は、自国に害をもたらそうとする別の国家に対抗できるだけの力を整えようとし、その力が足りないようなら利害関係が一致する他の国家と連携しようとします。連携できるほどに利害関係が一致する国家がないなら、ありとあらゆる手段を使って一致具合が充分になるように働きかけていきます。それが、悲しいことだけれど今の世界において、平和を一時でも長く維持するためにできる唯一の手段なのです。少なくても、自分の手を縛り足を縛り口を塞いで、何もできないようにすることは、「平和を実現する道」などではありません。むしろそれこそが戦争につながる最短ルートです。

ナチスがまだ大きな力を付けていなかった時期にナチスの台頭を止めることができなかった「罪」は、作中ではまるでドイツ国民だけの罪であるかのように表現されていますが決してそんなことはありません。フランスもイギリスもアメリカも、いくらでもできることはあったはずです。なのに有効な手段を取ることなく、危険な思想をおおっぴらに振りまく団体がドイツ国家の舵取りを思うままにしていく様子をただ見守ることしかしていなかった。なぜか。

「戦争はもうこりごりだ」という感情が政府にも国民にも強く残っており、ヒトラーがドイツの再軍備を宣言して他国への野心を露わにし始めてもなおナチスに対して強引な手段でそれを止めようという選択肢を選ぶことを頑なに拒んでいたからです。その結果として、事態はもう取り返しの付かないところまで雪崩を打つように突き進んでいってしまいます。

戦争を始めるのは軍国主義者かもしれませんが、軍国主義者を台頭させるのは平和主義者なのです。

国際ルールを無視することをなんとも思わず、あからさまに他国への侵略行為を繰り返して悪びれることもない国に対して、実効的な手段を持ってそれを押しとどめようとしても、「戦争はダメだ、戦争は絶対にダメだ」とただそれだけを繰り返して自国政府に対してそれを許そうとしない。自分は手を出さずなにをされても見逃し続けることで「平和」が維持できるという歪んだ思想に支配されたカルト集団。20世紀半ばの世界において、世界を二分する大規模な戦争の渦に巻き込んだ最大の功労者がそれです。「いつか来た道」というなら、これこそまさに「いつか来た道」です。

劇中では、小山力也さんが演じる男が直接的な暴力をふるうシーンはありません。ですが、弾の入っていない拳銃を使って相手を脅すシーンがあります(頑張って作りました。ちょっと古ぼけて凄みのある見た目の塗装とか、空撃ちしたときに『カチィーーン』と金属音ができるだけドラマチックに響くように工夫したりとか)。「拳銃は、弾が入っていなくても役に立つ」というセリフが何度も繰り返されます。スケールこそ違いますが、国家による暴力装置、つまり軍備ってものも根本的にはそれと同じです。軍備を整えるということは、それを使って相手をやっつけるためにすることではありません。相手に、こいつに手を出したら手痛い損害を被ると思わせ、実際に事に及ぶことをためらわせるために、莫大な金額と人員を消費して行うことです。

軍備は、戦争をするためではなく「しないため」に整えるものです。実際に使うか使わないかということとは別次元の部分に大きな存在価値があるということです。もちろん、実際に使えるにこしたことはないのですが、根っこのところで「弾の入っていない拳銃」に近いものがあります。重要なのは、それを手にしたものが明確な意思を見せることなのだということです。

多分、以上のような解釈や感想は、この演劇を見た者の感想としては異端かもしれません。少なくても、パンフレットに書かれている演出家さんや出演者の皆さんのコメント、ネットで見ることができる批評家さんたちのコメントなどを見ても、ほとんど正反対といっていい感想が並んでいます。曰く、「日本を戦争ができる国にしてはいけない」。

国家による暴力に対抗できるものは何なのか、今までの人生で何を見てきたのか? たとえ何も見てきていなくても、この演劇を見て何も感じなかったのか? 私には不思議でなりません……。
 

image2終了後のサイン会にて写真撮影に応じてくださった小山力也さん。ありがとうございます。舞台上ではすごく大きく見えたのに、実際に目の前にしてみるとけっこう小柄な方でびっくり。というか私が太り過ぎなのかも。うん、少し運動とかしよう。

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