「旨いワインを安く呑みたい」ってだけなら、国産にこだわる意味も必要もない。同じ金を出すならニューワールド系のワインの方が質の高いものが揃っているし、ブドウ品種やワインの性格にも選択肢が多い。これは否定しようもない事実だ。それなら、なんで国産ワインなのか? 理由はいくつかあるが大きなものの一つは、ワイナリーが近いということだ。実際に自分の足でワイナリーを訪ねて、どんな人がどんな方法でどんなワインを作っているのかを見て、そしてそこで生産者から直接ワインを買う。日本で呑める「本格ワイン」が輸入ワインしかなかった時代にも、ワインが物凄く好きな人の中にはフランスやらイタリアやらまで出掛けて同じことをする人もいたし、いまでもそういった海外ツアーを旅行会社が企画していたりするが、お金のかかる贅沢な楽しみ方であり誰もができることじゃない。言葉の問題もあるし。
しかし国産ワインでも「これは美味い」と思えるものがあるなら、そういった文字通りの「ハイソなワインの楽しみかた」と同じことが、身近な鉄道や高速バスを使って数千円から数万円でできるわけだ。こんな嬉しいことはない。言葉が普通に通じるってのも大きい。同じ日本なのだから当たり前のことなんだけれど、日本語で質問すれば日本語で答えが返ってくる。ワインを作ってる人に直接会って、実際に作ってるところを見せて貰う。そういう人達の話を聞きながら大量のワインから少しずつ試飲して好みのワインを見つけ、購入して家に帰って料理と一緒に楽しむ。ちょっと前までだったら考えられない贅沢行為が、誰でも簡単にできるようになった。それもこれも、「美味しい国産ワインが作られるようになった」おかげに他ならない。他にもっと安くて美味いワインがあったとしても、国産ワインは国産であるというだけで、とてつもなく贅沢なワインであるとも言えるわけだ。
写真:2009年の3月に新宿駅地下連絡通路に貼り出されたポスター。勝沼で情熱を持って本格的なワイン作りをしている30代の若手醸造家によって作られた「アサンブラージュ」という集まりのPRポスターだ。このポスター、リクルート社の企画として作られたものらしいのだが世間に与えたインパクトはとにかく物凄いものがあって、「今晩呑むワインとして、国産ワインを敢えて選ぶ」という風潮を作り出す立役者になったのは間違いないだろう。