ピストル射撃の世界は狭いので、私みたいなペーペーの射手でも、ちょっと大きな大会に出ると世界大会にしょっちゅう出てるような「日本の代表選手」と並んで撃つことも珍しくありません。特に、日本には世界大会で金メダルをとりまくっている松田知幸という「世界最強ピストル撃ちの一人」がいます。国内で「ちょっと上のレベル」を目指そうとするだけでいきなり世界の壁が目の前に立ちふさがるのが、他のスポーツではなかなか味わえない射撃スポーツの特徴の一つでもあります。
松田選手は間違いなく世界でもトップレベルにいるピストル射手ですが、「世界最高の射手」かと言われると、残念ながら、本当に悔しい思いをしながら「それは、違います」と答えなければなりません。オリンピックでのメダルはまだひとつも獲得できておらず、ISSF(世界の射撃スポーツの大元締めみたいな団体)が発表しているワールドランキングでも、10mピストルでは6位、50mピストルでも10位となっています。トップクラスであることは疑いありませんが、トップではないのです。
そういった観点で見た時の「アジア最強のピストル射手」は、韓国の秦鍾午(チン・ジョンオ)です。オリンピックには過去3回出場、その全てでメダル獲得。3つの大会で、金銀合わせて5個のメダルを獲得しています。先のワールドランキングでいうと、10mピストルで4位、50mピストルではダントツの1位です。
ロンドン・オリンピックでの10mピストル・50mピストル両方での金メダル獲得も偉業ですが、その両方の種目において現時点での世界記録保持者でもあります。
これだけの実績があるスポーツ選手なのですから、韓国の人にとっても英雄みたいな存在なんだと思います。中央日報にも秦鍾午の記事は頻繁に掲載されるようです。ただ、日本語での記事に限ると、大きな大会の結果など限られた記事しか配信されていません。韓国語はわからないので韓国語オンリーの記事はどうしようもありませんが、英語での翻訳記事があるものをなんとか見つけることができましたので翻訳してみたいと思います。
世界最高のシューターは、さらに高みを目指す
引用元:中央日報(World’s No. 1 shooter continues to aim high)
「世界最強のピストル射手」の名前を一つ挙げろと言われたら、多くの人がJin Jong-oh(秦鍾午=チン・ジョンオ)の名を言うだろう。今年(2015年)の初めには、ISSFが選ぶ2014年のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。2008年以来、2回めの栄誉である。
この賞は、例えるならばレアル・マドリードのフォワードであるクリスティアーノ・ロナウドが受賞したFIFAバロンドールと等価である。バロンドールの受賞者は、世界中の代表チームのマネージャー、監督、そしてスポーツ記者の投票によって選ばれるが、ISSFのPOTYも同じ選考過程を経て選ばれている。ISSFの競技委員会、コーチ諮問委員会、国際的なスポーツジャーナリストの投票といった形だ。
35才の秦鍾午は、ロシアの「Nazer Louginets」や、中国の「Yang Haoran」を超える113ポイントを獲得。昨年(2014年)には、スペイン・グラナダで行われたISSFワールドカップにて、10mエアピストルと50mエアピストルの両方で金メダルを獲得するという偉業を成し遂げている。
2014年の世界選手権では50mピストルで583を記録。これは、それまで旧ソ連の「Alexander Melentiev」が保持していた581という世界記録(1980年のモスクワ・オリンピック)を34年ぶりに更新するものだった。
Gangwon(江原道)生まれのこの射手は、10mエアピストルでも、2009年に韓国で行われたワールドカップにおいて594という世界記録を記録。これも50mピストルの世界記録と同様にまだ破られていない。
1995年に射撃を始めた秦鍾午は、ドイツの「Ralf Schumann」と並ぶ、オリンピックでの最多金メダル獲得者である。
これだけの成功にも関わらず、彼はまだピストルを置こうとはしていない。この水曜日にも、かれは華城市にある京畿道射撃場でターゲットを狙っていた。
「私は神様ではなく、普通の人間ですので、練習をやめるわけにはいかないのです」と彼は言う。
2016年にブラジルで開催されるオリンピックでのさらなるメダル獲得が現在の目標であると彼は言う。仮にその目標が達成されたとすると、彼は4回連続でオリンピックでメダルを獲得した唯一の韓国人となる。
Q.50mピストルの世界記録を破った時、どのように感じましたか?
A.Melentiev氏によるその記録は、ISSFの記録のうち、最古のものでした。記録更新後、Melenttiev氏よりお祝いのメッセージをいただきました。彼が亡くなったと聞いてとても悲しかったです。
Q.1月にヨーロッパ旅行をしたそうですが、何をしに行ったんですか?
A.50mピストルの世界記録を更新したとき、私はスイスのモリーニというメーカーが作った銃(※)を使っていました。競技射撃用ピストルには、変化するトレンド(流行)というものがあります。銃メーカーは私の成績を見て「これは広告になる」と思ったのでしょう、私をスイスのルガーノまで招待し、私のために設計したピストルを提供してくれることになりました。私は10mピストルでも、オーストリアのシュタイアーによってカスタムされたピストルを持っています。両方とも、世界にただひとつのものです。
Q.あなたを目指す射手が、あなたのことを「ゴット・オブ・シューティング(射撃神)」と呼んでいますが、どう感じますか?
A.私は普通の人間です。50mピストルの世界記録を撃った時も、頭の中ではいろいろな雑念が渦巻いていました。大学時代、サッカーの試合で右肩を怪我したときに治療のために金属製のピンが肩の中に埋め込まれました。そのピンのために今でも長時間の練習ができません。ですから、毎日の練習において、限られた一発一発に最大限集中するように心がけました。試合においてもそれは同じです。試合の結果は、「60発の弾」によって決まるのではありません。それを構成する一発一発の射撃によって決まるのです。
Q.昨年(2014年)のアジア大会では、高校生のKim Chung-yong(キム・チョンヨン)が10mピストルで(あなたを破って)金メダルを獲得しました。どう感じましたか?
A.あのとき私は、酷い風邪を引いていました。私は、あの結果は「まだお前は引退するには早い」という神様からの啓示だったと思っています。大会の後、私はキムに新しいヒーローの誕生を語りました。
若い射手が育ってきています。私は彼らに、個人的なノウハウや、精神をどうやってコントロールするかといった技法を伝えることになるでしょう…引退してコーチになってからの話ですが(笑)。
Q.ストレスへの対処方法を教えて下さい。
A.試合が終わった後は、老人みたいな気分になって過ごします。私は江原道・春川の出身ですが、10才のころから釣りが大好きで、今でもよく釣りにでかけます。射撃と釣りはよく似ています――両方とも集中と忍耐が必要です。他には映画を見ます、特に、ガンアクションものが好きです。実を言いますと、警察の体育チームにいた頃の夢はスナイパーになることでした。
Q.来年はリオ・オリンピックです。
A.4回連続出場と金メダル獲得のためには、まずは国内でのセレクションに通らなければなりません。「4大会連続メダル獲得」というのは、実にやりがいのある目標です。貪欲になる気持ちを抑えきれませんが、どうにかして思考をクリアにしようと努力しています。
オリンピックが終わったら、IOCアスリートメンバーとしてキャリアを積み重ねたいと思っています。
秦鍾午のピストル、リオ五輪金を照準…東亜日報の記事(2016.4.9 日本語)
「韓国とスポーツ」というと、ネットユーザーの方は特に、あまり良いイメージがない人も多いかと思います。サッカーでのラフプレイやテコンドーでのあからさまな偏向ジャッジはよく知られていますし、数年前の仁川アジア大会でのバトミントンでは、コートチェンジをしても日本側だけ常に向かい風だったなんて話も話題になりました。
けれど、射撃はそういうわけにはいきません。ズルをしようにも衆人環視のなかじゃできることなんかありませんし、他の人を妨害するのならともかく自分だけ良い点を出す方法なんてもんがあるのなら教えてほしいくらいです。射撃では、すごいヤツは本当にすごいのです。