ベトナムのニュース、めっちゃ「金メダル」って言ってる【海外の反応】

ベトナムに初の金メダルをもたらした、10mピストルのホアン・スアン・ビン。前回の記事で現地のTV放送の録画と思われるYoutube動画のリンクを貼りましたが、その中でもアナウンサーの熱狂っぷりったら物凄いものがありました。

もちろんアナウンサーだけじゃなく、ベトナムではかなりの大盛り上がりを見せているようです。ベトナム関連のニュースをまとめているサイトに名前を入れて検索してみると、そりゃもう物凄い数の記事がヒットします。

今回はその中から、謎が多いホアン・スアン・ビン選手について、いつごろ射撃を始めたのか、どういった経歴の人なのかということについて触れているものを探して翻訳してみました。

ホアン・スアン・ビン射手は、ベトナムスポーツ界の誇りである

Shooter Hoang Xuan Vinh, great pride of Vietnam’s sport (VBN)


ベトナムのスポーツ界の歴史は、ホワン・スアン・ビン選手がもたらしたベトナム初のオリンピック金メダルによって新しい時代を迎えた。ブラジルで行われている2016夏季オリンピックの10mエアピストル競技で、ビンはベトナム人初の金メダリストとなった。

ホアン・スアン・ビンは1974年、ハノイのソンタイ市で生まれた。ビンは射撃を20歳の時に始めたが、射撃競技で頭角を現し始めたのは24歳、軍に所属している時だった。その2年後、ビンは10mエアピストル競技で国内最高記録を出してベトナム選手権の金メダリストとなり、ナショナルチームメンバーとなる。彼はそのキャリアの中で、国際的な大会においていくつかの金メダルを獲得、また世界記録も更新し、そして今、ついにオリンピックの金メダルを獲得したのである。

 

 

2016年8月7日、ホアン・スアン・ビン選手はリオオリンピックで歴史を作った。彼は10mエアピストル競技で、ベトナム人初の金メダリストとなった。それだけではない。彼が記録した202.5というファイナル得点は、過去のオリンピック記録を更新するものだった。地元ブラジルのフェリペ・アルメイダ・ウーが記録した202.1、そして中国のPang Weiの180.1をリードした。

8月10日には50mピストル競技が行われ、ビン選手は続けて銀メダルを獲得した。ビンの業績は、ベトナム代表団が目標としていたメダル獲得数を現実のものとすることに対し、大きな助けとなった。
「どんな状況であっても強くなければならない、というのが私の座右の銘です。この競技は私にとって、とても意味のあるものです。ファイナルラウンドでは、一時とても困難な状況になりましたが、それは私のこれまで培ってきた練習の日々の結果でもあるのです。表彰台でベトナムとアナウンスされた時は感動しました」

オリンピックで高得点を記録し勝利するためには、激しい練習と、決意と、才能が必要である。それこそが、40歳になるホアン・スアン・ビンがオリンピックで金メダルを取ることができた特別な理由である。ベトナムオリンピック委員会の副委員長であるホアン・ビン・ジャンは言った。「ビンの金メダルはベトナムスポーツ界の宝物です。これは全ての世代の競技者およびベトナムの人々の夢でした。ビンが成し遂げたことはベトナムスポーツの世界における地位を押し上げてくれることでしょう」
ベトナム射撃チームのチーフコーチであるグエン・チ・ナンは言った。「ホアン・スアン・ビンは、このオリンピックで見事な勝利を得て、国家に栄光をもたらしたのです。彼を誇りに思います」

世界のメディアも、ホアン・スアン・ビンの成果を伝えている。ロイターニュースは「ホアン・スアン・ビンがベトナムに初のオリンピック金メダルをもたらした」と伝えている。BBCは「ベトナムがこれまで得ることができなかった金メダルを、ホアン・スアン・ビンが10mエアピストル競技で勝利することによって手に入れた」と言っている。アメリカCNNは「ホアン・スアン・ビンは歴史的なオリンピック金メダルにより、ベトナムスポーツ界における伝説となる」と伝えている。

ベトナムが初めてオリンピックに参加したのは1980年、モスクワオリンピックの時の事であった。そして今年が、ベトナムがオリンピックで金メダルを獲得した年となった。


さて、記事の中で、何回「金メダル」って言ったでしょう?(笑)

ってクイズにしたくなるくらい、「Gold Medal」「Gold Medal」と、何度も何度も繰り返し出てきます。どれだけ嬉しかったのか、どれだけこの金メダルがベトナムにとって大きなことなのかがちょっとだけですが伺い知ることができます。

さて、気になるホアン・スアン・ビン選手のプロフィールですが……。驚いたのが、射撃を始めたのは20歳になってから、24歳になってから頭角を表し、ナショナルチーム入りしたのはさらにその2年後、26歳の時という部分ですね。記事には書かれていませんが、世界大会に参加するようになってからもけっこう長い間、あまり良い成績は残せていません。「上位」と言えそうなところに名前が残るようになったのは、代表入りしてからさらに10年くらい経ってからです。

これって、今の世界の常識からすると、とんでもなく遅いです。今の時代、世界トップレベルで太刀打ちできる射撃選手を育てようと思うのなら、10代も早めのころから才能のある子を探しだして、最高レベルの環境において徹底的に射撃漬けにして技術と経験を叩き込み、さらにその中から勝ち残ってきた一握りのエリートでないと、どうしようもないっていわれています。今の日本みたいに、警察官とか自衛隊とか、大人になって就職した人間の中から有望な人を選んで特別な環境に置いて練習させても、よっぽどその個人に稀有な才能があるのでもなければ、とても世界とは太刀打ちできないってのが「当たり前」、それが今の世界の射撃シーンです。少なくてもそう言われています。

だから、20歳過ぎてから射撃を初めて、なんか性に合ったみたいでけっこう良い点が出て、時々は全国大会でも賞状貰っちゃったりすることがある――って程度の私みたいな射手は、たとえ物凄い練習してまかり間違って代表になっちゃったりして世界大会に出たりしたとしても、子供のころから徹底的に射撃まみれの人生送ってきてるような「超ベテラン」相手には何もできずに思い出作っただけでトボトボと帰ってくるしかない(だから、国の予算をかけて強化しても無駄だ)ってのが、現時点でのオリンピック候補選手強化の方針になっています。これは射撃だけじゃなく他の競技でも似たようなもんだと思います。

そんな中、20歳になってから射撃を初めて、それでいきなりトップレベルに到達した天才ってわけじゃなく、ナショナルチーム入りするまで6年もかかった、どっちかというと「努力家なんだろうし才能もあるんだろうけれど、けっこう普通の人」が、世界の頂点であるオリンピック金メダルを獲得したわけです。「大人になってから射撃始めたような人をいくら強化したって、オリンピックでメダルなんか絶対に取れっこない」って強化委員会の偉い人が断言していた、その「絶対に無理」なことが現実に起こったわけです。これは、ベトナムだけじゃなく世界中の「代表入りを夢見るおじさん射手」にとっての朗報です。希望の星です。

池上ヒロシ

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