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毎年が「当たり年」のワインって…

ワインの解禁日になると毎年のように言われるのが、「今年は当たり年だ」というフレーズだ。去年は「10年に一度の逸品」とか言ってたけれど、今年は「昨年よりも良い」とか言ってて、さらにその次の年は「ここ10年で最高」とか言ってて…。結局毎年「最高」なんだろ、外れの年なんてないんだろと言いたくもなる。今年はダメだったとかイマイチだったとかたまには言ってみろと思いたくなる。毎年「最高」になるのも、ある意味では当然のこと。その理由は、栽培や醸造技術の進歩によるものだ。「今年はダメでした、イマイチでしたすいません」ということが起こらないようにブドウを育てて醸造することができるようになったため、「外れ年」というのがでないようになり、結果として毎年が「当たり年」になっているというのが実情だ。

毎年が当たり年といっても、実はその中でも「特に良い」「やや良い」くらいの差はある。いくら栽培や醸造の技術が進歩しても、人間はまだ天候を思いのままに操ることはできない。その年がどんな天候だったのかでブドウの出来はどうしても左右できる。人類の叡智もまだその変動を無くすことができるレベルにまでは達していないというわけだ。

ワインを作る上で良いブドウというのが育つ条件というのはいくつかある。

  • 晴れた日が多い
  • 昼夜の寒暖差が大きい
  • 1年の寒暖差が大きい
  • 雨が少ない

逆にブドウにとって悪い条件というのもある。

  • 曇り、雨の日が多い
  • 開花や収穫の時期に霜がおりる、雨が降る

この全ての条件が良い方向に揃っていれば、それはもう文句なしの当たり年となる可能性が非常に高い。けれどもなかなかそう上手くはいかない。一つ二つの条件は良い方向に当たっていたが、残りはそれほどでもなかった、あるいは逆に悪い方だった、なんてこともある。ずっと良い条件が揃っていて超当たり年になると思われていたのに、最後の最後の収穫時期になって雨が降って台無しになったが、たまたま雨が降る前に収穫したわずかなブドウで作ったワインだけは非常に良い出来になった、なんてこともある。

たとえば昨年。1~2月は非常に寒く、春になってからは連日の快晴。春から夏にかけてはほとんど雨が降らず(山梨ではたしか2ヶ月間の降水量がゼロなんていう記録を打ち立てたとか)、どのブドウもまれに見る良い育ち方をしていて期待が持てたのだが、10月の頭になって超大型の台風が南太平洋上に出現、日本を直撃するコースを辿り始めた。5000人の死者行方不明者を出した伊勢湾台風の再来とも言われる常識はずれの大型台風で、いくら山に囲われて台風が避けて通る山梨でも被害は免れないだろうということで、「あと3日、いや1週間たてば最高の状態になるのに」という状態のブドウを早めに収穫せざるを得なかった。全部の収穫は間に合わないから、育てるのに手間がかかる最高品質のブドウだけを優先して収穫し、残りは見捨てるしかない。ところが予報は外れて台風の被害は極小。「こんなことなら収穫するんじゃなかった」と悔やんでも、枝から外したブドウを元に戻すことなどできない。結果として見捨てるつもりだった第二線級のブドウの方が「最高の時期に収穫」することができて最高のワインになり、手間も金もかけた最高品質のブドウの方は「収穫時期があと少し遅ければ」と悔やまれる出来のままワインに仕込まなければならないという事態になった。

さて、以上のことをもって判断するに、2009年は「当たり年」だったのか、「外れ年」だったのか? 結果としては良いブドウやワインが沢山作れたわけで「当たり年」だったのは間違いない。おそらく、今後何十年にもわたって、「2009年のブドウは良い出来だった」と語られる、そのくらいのレベルで「当たり年」だったと記憶される年になるだろう。だが全てが最良の状態で物事が運んで最良の状態で収穫できたというわけではない、ということもまた事実なのだ。
※ブドウによって最適な収穫時期は異なる。甲州種などは9月の上旬には収穫を終えているのでこの台風の影響はなく、文句なしに最高の出来のワインとなっている。影響を受けたのは収穫時期が遅いヨーロッパ系の品種がメインである。

そして今年。今年の夏は暑かった。とにかく暑かった。「150年ぶり」といわれる猛暑日が連続し、9月も半ば近くなるまで真夏日・熱帯夜が続いた。これだけ雨が降らなかったんだからさぞかしブドウも良い出来になっているのだろう…と思いきや、実は今年はブドウ栽培にとっては「酷い年」だったらしい。4月になってからいきなり降雪があるなんていう先制パンチを喰らうところから始まり、「今年は空梅雨になるでしょう」という予報とは正反対に7月になっても梅雨が明けきらずしとしとと雨が降る日が続いた。そうやって地味にダメージを喰らっていたところに8月から9月にかけての猛暑。多くのブドウが耐えきれず「ベト病」という病気にかかって実を付けることすらなく収穫時期を迎えてしまった。農家によっては全滅に近い被害が出たところまであるという。

以上のことをもって判断すれば、2010年は間違いなく「当たり年ではない」ということになるだろう。今後何十年か、2010年のラベルを見るたびに「あの年は大変だった…」とため息混じりで思い出すことになるのは間違いない。だが、そんな過酷な環境を耐え抜いて無事に実を付けた、いつもの年に比べれば数の少ないブドウの中には、最高の年だった去年をも上回る良い出来になっているものもあるという。「2010年は酷いものだったが、ここのワイナリーのこのラベルのワインだけは奇跡のような良い出来だ」、なんて言われるようなことに、もしかしたらなるかも知れない。

ただ暑ければいい、寒ければいい、雨が降ればいい降らなければいいといった単純なものではないということだ。ブドウの生育するそれぞれの時期に合わせて適切な天候が適切な規模でちょうどいい具合で移り変わってくれれば最高にありがたいわけだが、大自然はそんな人間の都合に合わせて動いてはくれない。どうしようもない部分や思い通りにならないことが数多く起こり、それに対してブドウ農家は知識や経験を駆使して少しでも良いブドウを育て上げようとする。そうやって育てられ収穫されたブドウが、たとえ完璧とは言えない出来であっても、醸造家は知恵を絞って足りないところは補い、良いところは伸ばすようにして「良いワイン」に作り上げようとする。どうしようもない大自然の動きに対して人間があらがい続けた結果、それがその年の「ワイン」となって結実する。

ワインの面白いところがここだ。その年のワインは、その年を象徴するものになるのだ。2009年のワインを呑むたびに、雨が少なかった夏、10月頭にやってきた巨大な台風の予報図を見ておののいた秋、そしてその記憶に連なるいろんな思い出、どんな人に会ったのかとか、どんな出来事があったのかとか、そういったことを思い出すだろう。まだ出来上がっていない2010年のワインを呑めば、死ぬほど暑かったこの夏のことを思い出すのは間違いない。私たちが育ち生活しているこの日本という国で、同じように育ってきたブドウによって作られたワインの中は、私たちのその年その年の記憶が封じ込められていて、栓を開ければその年の記憶を味や香りと共に思い起こさせてくれる。これもまたワインの魅力のひとつだと思う。

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池上ヒロシ

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池上ヒロシ

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