【ガンマメ】サバイバルゲームって、遊び? スポーツ?

そのどちらでもある。それをやってる本人の心がけ次第だ。

サバイバルゲームが日本で普及し始めたころから、頻繁に繰り返されている論争の一つに、「サバイバルゲームはスポーツか、そうではなく遊びなのか?」というものがある。

「サバゲがスポーツだなんて、笑っちゃうね。あんなのただのごっこ遊びだろ」
「自分たちはまじめにスポーツとして取り組んでいる。遊びとか言ってほしくない」

両方の意見があり、互いに譲らないように見える。はたして、どちらの言っていることが正しいのだろうか?

実のところ、どちらも正しいといえば正しいし、間違ってるといえば間違っている――というのが、回答としては「正解」に近いのではないだろうか。どちらつかずの玉虫色の回答のように見えるが、そもそもの話として、「スポーツ」と「遊び」というのは明確に区別できるものではないのだから仕方がない。

多くの「スポーツ」はもともと「遊び」を発祥にしている。なんてことない遊びに、ルールをつけて勝敗を競うようにして発展してきたのがスポーツなのだが、その「なんてことない遊び」とされているものの中にも、ルールを決めて本気で勝敗を競っているものがたくさんある。スポーツと遊びの境界線はもともとあやふやではっきりしたものではない。それどころかその2つを区別する意味や理由すらあるかどうか疑問だ。

「スポーツなのか、そうではなく遊びなのか」という問い自体がナンセンスなのである。「スポーツ」であることと、「遊び」であることは矛盾なく両立する。どちらか一方が成立すればもう片方が否定されるようなものではない。同じサバイバルゲームでも、ルールのもとで勝敗を決めることを重要視しているところもあれば、勝敗なんて二の次三の次で、お気に入りの装備とエアガンを持って集まって撃ち合いをすることのほうがずっと面白い、みたいなところもあるだろう。それぞれの人の心の中で、スポーツ的な要素とお遊び的な要素のどちらが大きいか、小さいかという違いはあるだろうが、だからといってサバイバルゲームはスポーツである、あるいは遊びであるとどちらかに決め付けることなんかできはしない。
 

日本のサバイバルゲームの元になっていると言われている、アメリカで盛んな「ペイントボール」。プロリーグがあってプロ選手もいて、トップレベルの試合ではプレイヤー一人に一人ずつのジャッジが付いたり、大勢の観客が勝敗に歓声を上げたりと、誰が見ても「スポーツ」っぽい。しかし、ほとんどの「普通の」愛好者は休日にフィールドに集まってレンタルのマーカー(銃)やゴーグルなどを借りて遊んで帰る、という日本のサバイバルゲームとほとんど変わらない楽しみ方をしている。
Photo : Andres Aguiluz Rios(Flickr)

「スポーツ」でもあり、「遊び」でもあるものというのは、サバイバルゲーム以外のものに目を向けてみれば、意外にいろいろと思い当たるものがある。日常的なものの一つとしては、ボウリングがあるだろう。オリンピックの正式競技でこそないが、プロリーグがありプロ選手がいて、大きな大会ともなれば大勢の観客が集まるし、TV中継されることだってある。ボウリングの入門書みたいな本は、本屋に行けば「スポーツ」の棚に置いてある。ボウリングを「あんなもの、スポーツではない」と言う人は、そんなに多くはないんじゃないだろうか。

だが、大多数の「普通の」人にとってのボウリングといったら、放課後だとか、飲み会のついでだとかで、みんなで集まって楽しむものというイメージが強いだろう。スコアを上げるためにコーチについて狙い方や投げ方を習ったり、難しいスプリットをクリアする練習のために左右の端っこのピンだけを延々と狙い続ける練習をしたり、なんて人はけっこう珍しい部類に入ってしまうんじゃないかと思う。
 

ボウリングを「スポーツではない」と言う人はそれほど多くないだろう。しかし一般的に、ボウリングは学校の部活だとかクラブスポーツだとかの「厳しくて辛い練習」みたいなものとは無縁の、気軽で楽しいものとして親しまれている。
Photo : antjeverena(Flickr)

なぜサバイバルゲームばかりが「スポーツか、スポーツではなくて単なる遊びなのか」という論争がたびたび巻き起こるのか? スポーツという言葉に対するイメージ、「スポーツとは、こんな感じのものでなくてはならない」という思い込みのようなものが、相当に根強く多くの人々の間に染み付いているからじゃないかと思う。

スポーツとは何か? 辞書で調べるとこんなことが書いてある。

楽しみを求めたり、勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の総称。陸上競技・水上競技・球技・格闘技などの競技スポーツのほか、レクリエーションとして行われるものも含む。出典:デジタル大辞泉

楽しみのために身体を動かして何かをする行為全般、といった具合に、かなり広い範囲の行為を指す定義になっている。この定義に従えば、それこそ散歩や将棋なんかまで「スポーツ」に含めても良いんじゃないかと思えてくる。実際に、それらも当然「スポーツ」に含まれるとする人たちもいる。それらに比べたら、サバイバルゲームはずいぶんと「スポーツっぽい」ものに見えてくるんじゃないだろうか。

いや違うだろ、スポーツってのはもっと真面目で、汗を流しながら辛くて厳しい練習をするもので……と反論したくなる人も多いかもしれない。だがそういうスポーツに対するイメージは、前述のとおり言葉の定義からすれば間違いであり、誤った偏見とも言うべきものなのである。

スポーツに対してそういった「辛くて厳しいものでなければならない」といった強いイメージが広まってしまった理由については、スポーツ学みたいなものを専門としている人があれやこれやと分析したものがネット上にいろいろと見つかる。曰く、明治時代の日本にスポーツが初めて導入された時、それは教育課程における「体育」という形であり、それはすぐに軍事教練と結びつき、統制された団体行動や忍耐力を培うためのものとして発展してきたからだ。曰く、楽しみのために何の生産性もない運動に昂じるという思想そのものが日本では受け入れられ難く、もともと日本にあった「武道」と結びついて、より優れた人間になるための修行といったニュアンスで受け止められ広まったからだ……。

まあ、それについては何が正解でも構わない。「なぜ、そうなったのか」という理由について研究して突き止めようとするのは専門家さんたちに任せておけばいい。ここではっきりしておきたいことは一つ。「スポーツ」というのは(多くの人が思い込んでいるように)辛く厳しいものでなければならないなんてことはなく、もっと気軽で楽しいものを「スポーツ」と呼んでも何も問題がない、ということだ。

サバイバルゲームは、スポーツだ!
――うん、そうだね。そう思うよ。

サバイバルゲームは、遊びだ!
――うん、そうだね。そう思うよ。

両方とも、別に間違っているわけではない。両方とも、正しい(相手を「間違ってる」と言わなければ)。ちょっとだけサバイバルゲームに対するその人の取り組み方が違っている、ただそれだけの話だ。

池上ヒロシ

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