亀有に引っ越してきてそろそろ10年経つ。住みやすい、いい街だ。肩肘張ったところも押し付けがましいところもなく、物価は安く買い物に不便することもそんなにないし、交通の便も良い。超長寿マンガのおかげで知名度もあって、意外にイメージ的にも悪くない。実際にガラが悪い連中もそれほど目立たない。
普段暮らしていて一番有りがたかったのは、夜中の12時まで開いている「フーズクサマ」という名前のスーパーが近所にあったことだ。チェーンでもなんでもない個人経営のスーパーで、なんでも創業60年を超えるという、地域密着型のお店だ。
そのフーズクサマが、今年の夏に閉店してしまった。亀有北口近辺の住民にとっては大ニュースだったのだが、それ以外の大多数の人にとってはそうでもなかったようで、地元ニュースサイトの葛飾経済新聞ですら記事にしてくれなかった。広いインターネット、1人くらいはフーズクサマの閉店を嘆いている人がいてもいいだろうと思ってこの記事を投稿する。
ここを基準にして「スーパーの惣菜ってけっこういいよね」って考え方になってしまうと、例えば旅行に出かけて出先で見かけたスーパーに入ったときなど、かなりガッカリするはめになる。ヨーカドー系列とかイオン系列とか、日本中どこにいっても並べられているものは代わり映えしない。それはそれで凄いことなのかもしれないが、あまりにも味気ない。
惣菜売り場、肉売り場、鮮魚売り場の周辺にあるスピーカーからは、本日の特売品などのアナウンスが流れているのだが、これは店長さんが毎日毎日、その場で新しく録音しているものだ。放送ついでにそのまま録音して、それを何度も流している。言うことなんてどうせ代わり映えはしないんだから決まった録音をそのまま毎日流しておけば良いだろうと思うのだが、「本日は雨の中、誠にご来店ありがとうございます」「本日はお暑い中、誠に……」等など、天気や季節や行事などによっていちいちフレーズにアレンジが入る。「クサマ店長の名調子」として隠れたファンも多かったという。
フーズクサマが大手スーパーと違うところはもうひとつ、その構造の複雑さがある。入り口がドーンとでっかくあって中に入るとドーンと広い空間がある、みたいな形とは全く異なり、パチンコ屋やタバコ屋や居酒屋やメガネ屋、はては銀行なんかに囲まれて、その間を縫うように店舗空間が広がっている。なんでも昔はこの一帯は小さい家が集まっていて、草間ストアー(当時の名前)もその中にある小さい商店だったのだが、周囲の家を買い取ってそれをつなげるようにして店を大きくしていったのだとか。おかげで入り口は代表的なものだけで3つ、細かいものを含めると全部で5箇所もあるというカオスな状態になっていた。
会計はどうするのか? 新館と本館、それぞれで会計するというのが、まあ普通のお店のやり方だと思うのだが、フーズクサマではなんと未会計のまま新館と本館を行き来しても構わない。まだ会計を済ませていないカゴを持ったまま、店の外に出て道路を挟んだもう一つの店舗に入り、買い忘れたものがあればまた未会計のカゴをもったまま道路をわたってもう一つの店舗に戻る。
「万引きし放題じゃねーか!」って思った人も多いんじゃないだろうか。それが普通の感覚だと思う。だが亀有ではそんな問題はない。これが普通なのだ。「防犯上、問題があるんじゃないか?」などと心配するのは外から来た人だけ。実際、万引きをする人なんか、「その疑いがある人」も含めて、今まで一度も見たことがない。
「必要に応じて商品に貼るシール」というと、「割引シール」や「半額シール」がある。閉店間際になると半額シールが貼られる商品周辺で互いに牽制しあう主婦たちが火花を散らす風景なんてのは全国的によく見られるものだろう。たかがシール1枚が、貼られる商品によっては数百円もの価値を持つのだ。その半額シールまでもが、このフロアケースの中には無造作に入っている。魚売り場と焼き肉のタレの間で、鍵をかけるでもなく隠すでもなく、普通に引き出しに入って誰でも取り出せる形で置いてあるのだ。
「いや、これはいくらなんでもダメだろ、取られまくりだろ」なんて心配はご無用だ。誰一人、このフロアケースから半額シールを取り出して勝手にどうこうする人なんていない。というかそもそも、そんなことをしようとか、する人が出たらどうしようとか、そんな発想すら微塵も存在しないらしい。もしかしたら、この亀有という街で「半額シールはもうちょっとちゃんとした奥まったところで厳重に保管したほうがいいんじゃないだろうか…」とか心配していたのは、私1人だけだったのかもしれない。
フーズクサマが8月31日に閉店するというアナウンスが流れたのは8月1日のこと。間違いなく繁盛しているスーパーなのに、なぜ?との気持ちが先に立ったものだった。しかし決まったことならどうしようもない。一部商品をのぞき新規入荷が止まり、少しずつ棚が空になりガランとしてくる店内。最終の3日間は割引セールとなり、割引目当てついでに閉店を惜しむ大勢のお客さんで店内は溢れかえり、最終日は通常の閉店時間を大幅に繰り上げて昼前には閉店となってしまった(そのおかげで最後の瞬間には立ち会えなかったのだが)。
跡地には、大手ってほどではないがそれなりに大きなチェーン系スーパーが入るとのこと。オープンは11月を予定しているそうだ。さすがに「道路を挟んで2つ店舗がある」なんてカオスな状況をそのまま引き継ぐわけではないようで、通り道になっていた新館と本館の間は完全に閉塞され、2つの店舗をつなげる工事が始まっている。
(2013年12月10日追記)通路を閉塞して行っていた工事は、単なる外装工事だけだったようで、新規オープンしたスーパーでも建物の真ん中を道路が貫いてる特殊構造は継承された。さすがに不安を感じるようで警備員さんがつきっきりになってるけれど。