ワインの世界には長らく「舶来信仰」みたいなものがあった。今でもある。日本製のワインは、ホンモノのワインではなくワインの紛い物にすぎない。ホンモノのワインを呑もうと思ったら輸入ワインしか選択肢が無い。いわゆる「良いワイン」はフランスやイタリアで作られた1本5000円~数万円もするようなものだけである。南アフリカやチリ、ニュージーランドなどにも、一流ワイン産地から技術者がわたって本格的なワインを作っているところがあり、そういった「ニューワールド系」と呼ばれるワインならば低価格で販売している中にもなかなか良いモノがある。だが国産ワインはダメだ…といった感じの認識だ。これは長いこと、ワイン好きにとっては「常識」に近いものだった。
実際、日本製のワインってのは、「ワイン」としては決して良いモノではない時代が長かった。日本で栽培されているブドウは、ワイン用ではなく生食用として作られているものが多い(これは世界的に見ると非常に珍しいことらしいのだが)。生食用として販売できないクズブドウを集めて潰して絞って発酵させて一升瓶に詰めたもの、それが長らく日本で呑まれてきたワインだった。もっともそういった酒は「ワイン」ではなく「葡萄酒」と呼ばれることが多いのだが…。ワインブームが訪れた後も、スーパーなどの店頭に並ぶ「国産ワイン」には、輸入果汁を発酵させたものや安いワインをタンク単位で輸入して日本で瓶詰めして売ってるものなんかが多かった。
生食用として「優れている」と見なされるブドウというと、大きな粒が房にみっしりと詰まっていて、皮が薄く、食べてみると甘くてあまり酸っぱくないもの、といったものになる。そういうブドウでワインを作ると、味に深みもなにもなくただ甘いだけのジュースみたいなワインしか作れないらしい。ブドウの産地に行くと「地元産ワイン」なんてものがおみやげ屋に売っていたりするが、たいていの場合はちょっとだけ発酵させてすぐに瓶詰めした「アルコール風味がついたブドウジュース」に近いものばかり。そうでないと売れなかった、というかそうでないと売れないという認識が一般的だったのだろう。
そういった状況が変わってきたのがここ5年くらいのことだ。旧態依然だったブドウ農家や葡萄酒醸造会社を若い人が継いで、あるいは買い取って、「本格的なワイン」を作ろうという動きが2000年ごろから始まった。といっても、ワインというお酒は「作ろう」と思っていきなり作れるものではない。良いワインを作るのには良いブドウが必要で、良いブドウを作るのには良いブドウの木が必要だ。木を育てるのには最低でも5年はかかる。彼らの努力が花開いて、コンクールなどで誰もが「これは素晴らしい」と評価するワインが作られだしたのがちょうど今から5年ほど前、つまり2005年ごろになるというわけだ。
写真:勝沼にあるワイン醸造会社としては老舗にあたる「山梨ワイン」。とてもワイナリーには見えない純日本建築だが、中に入ると石造りの地下にワイン貯蔵庫があり、樽や瓶に入ったワインがギッシリという、まさに「ワイナリー」な雰囲気満載。その激しいギャップがある意味でいかにも勝沼らしいと言えないこともない。