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選手より長く画面に映るあの女性って誰?~インド射撃チーム躍進の立役者、ムンクバイヤー・ドリスレン

濃いキャラ大集合で話題となったパリ五輪でのピストル射撃ですが、インドチームのコーチ席に座っていた女性が、なんかやけにたくさん画面に映るのに気づいた方もいらっしゃるかと思います。今回の記事は、主に彼女についての話です。
※画像はNHK見逃し配信よりキャプチャ。他同じ

「無課金おじさん」でひときわ注目を浴びることとなった、パリ五輪での10mピストルMIXのファイナル。さんざん競技中の写真が報道やSNSなどで拡散されたのはゴールドメダルマッチ、予選で1位となったトルコチームと、2位となったセルビアチームによる「金銀を決める決勝戦」でしたが、実はその一つ前に、3位と4位のチームによるブロンズメダルマッチ、すなわち「銅メダルを決める決勝戦」も行われていました。

ブロンズメダルマッチに出場したのは、予選3位のインドチームと、4位の韓国チームです。

インドって人口が多いわりにオリンピックでのメダルって極端に少ないんですが、その「少ないメダル」のいくつかは射撃競技で獲得しています(東京までの統計だと、最も多いのがホッケーで12個、次いで射撃が4個)。もともと「国家として世界大会での好成績を目指して選手強化などにお金をかける」って発想が薄いという特色があったようですが最近は少しは変わってきてるようです。

とくに射撃(ピストル射撃)は国民的に人気が高いスポーツになっているようで、「65歳で射撃を始めたおばあちゃんが才能を発揮し、百数十個ものメダルを獲得し、84歳になってもなお現役選手として活躍している」なんてエピソードがニュースにもなっていました(2021年に89歳で亡くなったそうです)。彼女を主役とした「Saand Ki Aankh」という映画も公開されています。「インド + ピストル射撃」ということなら、以前から当サイトでは大プッシュを続けてる「Good Luck Sakhi」なんかも、まさにソレですね(アマプラジャパン、ぜひ字幕付きで配信を!)。

世界中で話題になったゴールドメダルマッチに比べると世間からの注目は小さいのは確かですが、インド vs 韓国のブロンズメダルマッチもいろいろと濃いキャラが揃ってた注目の一戦ではありました。インドチームの女子はマヌ・バケル(発音を聞くとマヌ・バーカーに聞こえますが、カタカナにすると日本語的に響きが悪いせいか報道ではマヌ・バケルと表記されることが多いようなのでそれに準じます)は前日に行われた10mピストル個人戦で銅メダル。韓国チームのオ・イェ・ジンは金メダルの実力者です。あと、インドチームの男子はサラビョト・シン、ターバン巻いてるその風貌から「マンガのキャラみたい」と、SNSではちょっと話題になってましたね。

マヌ・バケルのプロフィールとか見ると凄いですよ……。

6歳からボクシングを始め、その後テニス、クリケット、空手、スケート、陸上などでインド国内大会のメダルを次々に獲得。射撃を始めたのは2年前からで、いきなりISSFワールドカップで金メダルを取り「若き天才射手」と有名になった……なんてことがOlympic.comの記事とかに書いてあります。「小さい頃からなんでもスポーツをやればすぐに一位になれた。けれど私を本気にさせてくれるのは射撃だけだった……」みたいなこと言い出しそうです。まんまマンガのキャラクターです!
注:このセリフは、私がいま勝手に考えた捏造セリフです。実際のマヌ・バケル選手の言葉ではありません。

10mピストル個人では銅メダルを獲得、「インドにとって初の女性メダリスト」としてニュースになっていました。この10mピストルMIXでも、終始あぶなげなく高得点を連発してポイントを重ねて大差で銅メダルを確定。さらにこの後に行われた25mピストルでも、あと一歩で銅メダル(4位決定時に3位4位で同スコアとなりシュートオフが行われました)。あともう少しで、1大会で3つのメダルを獲得するというインドとしては前代未聞の偉業達成という、今回のパリ五輪をインド人目線で見たら「もっとも活躍した自国選手」と言って構わない存在なんじゃないかと思います。ニュース記事とか見てると本気で英雄扱いです!

さて、この10mピストルMIXの中継映像を見ていると、あることに気づきます。コーチ席が画面に映る頻度がやけに多いのです。もしかしたら出場してる選手4人それぞれよりも画面に多く写ってるくらいに見えます。なんか、すごく風貌に親しみがあるというか、「あれ? 日本人のおばさ……お姉さんがなんでこんなところに?」って思ってしまいそうです。

実はこの女性、すごい人なんです。

ムンクバイヤー・ドリスレン(munkhbayar dorjsuren)。モンゴル生まれ。1992年バルセロナ五輪ではモンゴル代表として25mピストルで銅メダル、2008年北京五輪ではドイツ代表として25mピストルで銅メダル。1969年生まれなので現在は55歳になりますね――見た目若っか!

当サイトでは、TargetTalk(海外の射撃専門BBS)の翻訳記事で話題に出てきたので一度紹介したことがあります。

だいたいいつも少し斜に構えて皮肉なこと言うことが多いドイツの人が、「彼女は実に好人物です。彼女と会話をするのが私は大好きです」と手放しでべた褒め、というかべた惚れ?な感じのコメントを書いてたんで印象に残っています。

インドのピストル射撃チームのコーチになったのは2022年。その時のインド発のニュースが、現在検索しても山程ヒットします。「物凄い実績のある世界的に評価が高い人物がコーチに就任した。今回のインド射撃チームは本気だ! きっとパリ五輪ではやってくれるぞ!」みたいな期待に満ち溢れた報道ばかりです。

今回のパリ五輪では、インド射撃チームは10mピストル女子、10mピストルMIX、そして50mライフル3姿勢男子の3種目でメダルを獲得。全種目で獲得した合計6つのメダルのうち半分を射撃で稼ぎ、しかもそのうち2つはピストル種目です(メダルが取れなかった25mピストル女子でも、あと一歩及ばなかった超僅差だったということは前述のとおり)。インド射撃チームの「高名なピストル射手をコーチとして招くことでメダル獲得を目指す」という目論見は、文句なしに大成功の結果になったといっていいと思います。

10mピストルMIXに限らず、インドがファイナルに出場したピストル競技を見返すと、どれもこれもコーチ席にいるムンクバイヤー・ドリスレンが大写しになるシーンが多いことに気づきます。映像を作ってる側も、この女性が「ただものではない」ことを十分承知していて、普通だったらただ座ってることしかできないファイナル中にどのようなことをして自チームをサポートしようとするのか、その一挙手一投足を見逃すまいとする意思が働いているのかもしれません。

実際、10mピストルMIXでのブロンズメダルマッチでの彼女の動きは、その一つ一つが非常に興味深いものです。MIXのファイナルでは合計2回のコーチングタイム(1回の制限時間は60秒)が設けられていますが、彼女はコーチングタイムになるなりストップウォッチを手にしてコーチ席から飛び出してきて、常にストップウォッチを気にしながら選手たちの腰を叩き、手をマッサージし、話しかけ、最後にまた腰を(けっこう強めの勢いで)叩いてコーチ席に戻る――という、一秒でも無駄にしてたまるかという超高密度でのコーチングを行っています。

「ポイントは取れてるのだけれど僅差」という局面が続いていた時に取られたコーチングタイムにおいて、制限時間ギリギリまで使ってサラビョト・シン選手のピストルを持つ方の手をマッサージし、去り際に腰のところをペシッと叩いて去っていくムンクバイヤー・ドリスレンコーチ。

さらにその後、観客席に向かって「なにやってんだお前ら、もっと盛り上げろ!騒げ!叫べ!」って大いに煽り立てます。よくこんな恐ろしいことを――!

競技中、それもファイナルをやってる真っ最中の選手の手をマッサージするとか、射撃において最も「要(かなめ)」となる腰を強く叩くとか、自分がコーチという立場だったらソレができるかと言われたら、とてもじゃないけれど恐ろしくてそんなことできません。それで良い結果になればいいですが万が一悪い結果になったりしたら、「お前が余計なことしたせいだ」って言われるに決まってます。しかし彼女は躊躇することなくソレを行います。ソレをすることがパフォーマンス向上に役立つという、極めて強い確信があるという証拠です。

しかも時間を見ながらギリギリまでコーチングをしている様子から察するに、「同じような場面」を何度も経験していて、その経験の上で最も効果が高いコーチングはどういうものかを試行錯誤の上で編み出し、それを今その瞬間に実行している――ということが伺えます。

他国、このブロンズメダルマッチで対戦している韓国などは特に顕著ですが、そのコーチングタイムでのコーチの行動を見ていると、いちおう前に出てくるものの、選手とは二言三言会話をしただけで時間を大幅に残したままコーチ席に引き返してしまうという例が多く見られます(逆に、時間が過ぎてるのに戻らないので審判に怒られてしぶしぶ戻るシーンも)。「あまり長く会話することは良くないから早めに切り上げることを選んでいる」というよりは、見た感じですが「とりあえず前には出たものの、何を話したらいいかわからないんですぐに退散せざるを得なかった」みたいな雰囲気にすら見えます。

ファイナルの練習そのものは、オリンピックに出てくるような国だったらどこでもやってるはずです。もちろん日本だってやってます。先月の7/13に長瀞で開催された全国ピストルでも、終了後に希望者を集めてファイナル練習が行われてたりましたし(全国ピストルはファイナルなし)、自衛隊体育学校や各都道府県警の特連チームなどでは日常的にファイナル練習もやってるはずです(もちろん代表合宿でも)。

けれど、「コーチングタイムにコーチが前に出て選手と話す」というところまで含めて練習をしているか?と言われるとさすがに多くの代表チームは「いや、そこまでは……」という回答になるのかもしれません。ファイナル練習でファイナルに慣れるのはあくまで選手、コーチが限られた時間でどういったアプローチをするかといったようなことまで含めて練習するなんていう発想ができるところ、発想はできたとしてもそこまでする余裕がある国がどれだけいるか。

しかし今回のファイナル映像を見る限りでは、インドのピストルチームは確実に「そこ」まで含めて普段から練習をしていることが伺えます。でなければ、コーチがあんな恐ろしいことを自信満々にできるはずがありません。また「腰を叩く」というその行動一つをとっても、単に叩くだけでなにかの効果を出しているというよりは、普段から腰の角度とか力の入れ具合などについて口やかましく言っていることがあって、それを思い出させるためにペシッと叩いている、みたいな事情があるのではと考えるべきだと思います。

インドチームが16ポイントを取ってメダルが確定した瞬間、映像はムンクバイヤー・ドリスレンが観客席に向かってガッツポーズを取り大声でなにかを叫んでいるシーンを、かなり長いこと写したままになります。勝利した選手でも、敗北してメダルを逃してしまった選手でもなく、コーチ席に座っていた女性が、その瞬間では完全に「主役」となっていました。映像を作っている側も、このインドの勝利のうちの何割かは確実に彼女の成果であると確信するだけの「なにか」を感じ取っていたのでしょう。

ブロンズメダルマッチの勝利確定後、観客席に向かってガッツポーズして歓声に応えるムンクバイヤー・ドリスレン。この瞬間、会場の主役は間違いなく彼女でした。

参考記事:India.com
Who is Manu Bhaker’s Pistol Shooting Team Coach Munkhbayar Dorjsuren?

マヌ・バケールが獲得した2つの銅メダルは紛れもなく彼女自身の成功だが、射撃チームのコーチであるムンクバイヤー・ドリスレンが果たした功績は間違いなく大きなものである

池上ヒロシ

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