「ニュースで見たんだけれど、自転車って本当は車道を走らなくちゃいけなくて、歩道を走ると違反なんだって。知らなかった……」
というような書き出しで始まるブログが、ここ数日で100や200じゃ効かない数で書かれている。自転車乗りとしては「何をいまさら」な話だけれど、改めてこんなにもこの当たり前なコトを知らない人が多かったのかと思い知らされる。わざわざブログに書く人なんて全体からすればごく僅かだろうから、そのことをニュースで初めて知ったという人の実数は数千数万、いやもしかするとさらにそれ以上に及ぶことだろう。
多くのブログはその後に「でも車道を自転車で走ると危ないよね。煽られるしクラクションならされるし……」と続く。本当にそうなのか? 実際に車道を走ってみれば分かるが、煽られたりクラクションを鳴らされることなど滅多に無い。ドライバーの多くは「自転車は本来車道を走るもの」だということを知らないであろうにも関わらずだ。逆の立場に自分を置き換えてみれば分かる。ドライバーが、自転車は本来歩道を走るべきと思っていても、それが何故か車道を堂々と走っていたらそれは「得体の知れない何か」に遭遇するという状況であり、「とりあえず関わり合いになりたくない」と思うことだろう。自転車は車道走行が基本ということをちゃんと知っていればそもそも煽ったりクラクションを鳴らしたりはしない。
わざわざクラクションを鳴らしたり煽ったりして、「車道を走る無法な自転車を教育してやろう」とするのは、正義感に溢れる人、ということになる。妙な言い方ではあるが。残念ながら(笑)そんな人は滅多に居ない。ずいぶん長いこと自転車で車道を走っているが、今までクラクションを鳴らされたのは2回、窓を開けて「歩道を走れや!」って怒鳴られたのが1回あるだけだ。その何千倍、何万倍に及ぶ自動車とすれ違い、追い抜かれ、追い抜いてきたが、その3台を除けば全て紳士的な対応であった。中で運転しているドライバーの心情は、先に書いたとおり「得体の知れないモノには関わりたくない」というモノだったのかも知れないが……。
自転車で車道を走っていて最も怖いのは何か。「自転車は車道を走るものだ」ということを知らない無知な自動車ドライバーももちろん怖いが、既に書いたとおりそれはそれほど実害のあるものではない。車両として振る舞い車道を走っている限り、自動車の挙動は十分予測の付くものだからだ。実は、自動車より遙かに恐ろしいのは「自転車は車両である」という認識のない自転車乗りに他ならない。
逆走、無灯火、傘差し、二人乗り、携帯メール程度は日常茶飯事で、歩道から突然後ろも見ずに飛び出してきたり前触れも無しに道路を斜め横断しはじめたり。車道を走っていて「ヒヤッ」とする場面の多くはそういう無法自転車相手のものだ。「自転車が車道を走ると危ないよね」という意見が多いのは、そういう自転車があまりにも目立つからだろう。気持ちは理解できる。
なぜ、車道で安全意識のカケラもない運転をする自転車が多いのか。逆説的になるが、それは自転車が歩道を走っているからである。歩道を走ると一言でいうが現実的に歩道「だけ」を通って目的地に着くことなど不可能だ。歩道の無い道路も多い。交差点だってあるし道路を横断する必要もあるだろう。歩道がふさがれていて車道に出なければならない状況も多いだろう。自転車が歩道を走るということは、実は「歩道と車道を好き勝手に行ったり来たりする」ということだ。
自転車を運転する側も、歩道を日常的に走っていることで自分が車両を運転しているという感覚が薄い。薄いどころか全く持ってない人も多いだろう。自転車は歩行者のようなもの、という考えが蔓延している、それが現状だ。だが断じて自転車は「歩行者のようなもの」ではない。人間が本来持つ生物的に自然な移動速度を遙かに超えたスピードで移動する道具なのだから、それはどんなに技術が進歩しようが本質的に危険なものであり、運転する者にはそれなりの自覚と責任、そして緊張感が必要だ。
自転車に歩道の走行を認めたことが、その緊張感を自転車乗りから奪い去ってしまった。そしてその結果が、歩道車道を問わない傍若無人で危険きわまりない運転をする自転車乗りの蔓延だ。危ないからといって歩道に押し込んだつもりになって安心してしまったのが一番の間違いだった。なぜならそれは不可能だからだ。その現状を打開するためには、自転車は本来車道を走るものだ、という原則に立ち返るしかない。そのことで、歩行補助具的な自転車の気楽さ、ラクチンさは失われるかもしれないが、それは仕方のないことだ。自転車はクルマである。クルマはそもそも気楽に、ラクチンに運転して良いものではないからだ。