APS射撃用エアガンについては一般のエアガン好きよりもずっと詳しいはずの人たちでも、10人中8人はドミネーターと間違えてしまうAPS-1マークスマン。基本的な構造やデザインはドミネーターと同じだが、細かい部分がいろいろと変わっている。その中でも、射撃競技に使おうとする場合に最も大きなものといったら、パワー(銃口初速)の違いだろう。
マークスマンが発売されるより少し前のこと。エアガンメーカーであるマルゼンはエアガン業界団体であるASGKを脱退し、新たにJASGというエアガンをスポーツに使うことを前提とした業界団体を設立、パワーの自主規制を0.4Jから0.8Jへと引き上げた。それにあわせ、ASGK時代に発売されたドミネーター(パワーは自主規制を守った0.4J)から、新しい自主規制値の0.8Jにアップして発売されたのがマークスマンというわけだ。
時系列を簡単に書くとこんな感じになる。
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1992年:APS-1ドミネーター発売
1993年:第1回APSカップ開催
1994年:エアガンの業界団体が分裂。JASGが設立
1994年:APS-1マークスマン発売
1995年:APS-1グランドマスター発売
マークスマンの発売数カ月後にグランドマスターが発売になっている。グランドマスターの性能の高さは、発売から20年以上も経つ現在においてもAPS競技において第一線で使われ続けていることからも説明の必要はないだろう。その大傑作であるグランドマスターの影に隠れ、「知る人ぞ知る」「歴史の狭間に消えた」「コレクターしか知らない」というような形容詞で語られることが多いエアガンである。
マークスマン/ドミネーターは、実銃のモデルがある。1911をベースにライフル弾を撃つシングルショットのボルトアクションピストルに改造したものだ。
正直言って、競技用ピストルとしてはかなりのキワモノだ。なぜ、オリンピックのピストル射撃で使われているような純然たる競技用ピストルを製品化しなかったのか? それはおそらく、時代的なものだろう。今でもオリンピック競技用ピストルという存在の、エアガン好きの間においての知名度や人気はけっして高いとはいえないが、1990年代は今よりももっと知られていない存在だった。もしあの時代に、たとえばAPS-3のような「エアピストルそのまんま」の形をした競技用エアガンを発売したとしても、市場に受け入れられたかどうかは相当に疑問がある。あまりにも時代を先取りしすぎである。
エアガン好きの間では最も人気がある拳銃の一つである「ガバメント」をベースにした競技用ピストルを製品化する、というチョイスは、そういった時代的背景を考えると納得のいくものになる。エアガン好きなら誰でもガバメント(およびそのクローン)のガスガン、あるいはモデルガンを数丁は持っていたし、使い慣れていた。その使い慣れたガバメントそのままのグリップ角度、トリガーの引き味、セフティの操作で扱うことができるというのは、それだけでセールス的には大きなアドバンテージだったのだろう。
しかし、「下半分はガバメント」という実銃のメカニズムをそのまま継承しているため、マークスマン/ドミネーターの分解手順は、かなりのハイレベルで面倒くさく、複雑なものになってしまっている。ググってみてもこのエアガンの分解手順を詳しく説明しているサイトはないようだ。なので、ガンプロ記事を書いた時に撮影した写真を流用し、誌面には掲載しきれなかったものも含めて「マークスマンの分解手順・完全版」をお送りしようと思う。
なお、ドミネーター/マークスマンのアウターバレルとレシーバーの接合部分のデザインは、APS-1グランドマスターと完全に共通になっている。給弾口の位置も同じなので、全くの無加工でグランドマスターのアウターバレル&インナーバレルが取り付け可能だ。フロントサイトが高くなった分は、リアサイトをグランドマスターのものに交換することで対応可能。こちらの取り付けネジの寸法・位置もグランドマスターと完全共通なので、なんの工夫も加工も必要なく、「外して、付け替える」だけで交換可能である。
先日参加させていただいた富士見APS年忘れ射撃会では、「APS非認定銃はAPSカップのルールそのままで撃てるが、認定銃を使う場合はいろいろとハンデ付き」というルールだったので、「マークスマンにグランドマスターのバレル一式とリアサイトを付けたもの」という、およそルールの範囲内で最も有利になれると思われる最強に卑怯なエアガンを用意して臨んでみた。トリガー周りには手を入れなかったものの予想以上に精度が出ており、シルエットは10m以外はすべて落とし、ブルズアイは87点とまあまあの成績。プレートだけは(普段全く撃ってないこともあり)5枚しか倒せず、135-1xで結果は4位。とはいえ「ドミネーターがメインだった時代のAPSカップだったら、表彰台はほぼ確実、もしかしたら優勝」なレベルのスコアで、改めてポテンシャルの高さを思い知らされた。